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「十八史略」に学ぶ兵法経営【目次】

2.人間の本質と欲望編(基本)

酒と女(2)孔子か美女か


昔も今も、男が美女に弱いことには
変わりがない。

ハーレム願望ともいうべきか、
自分の周囲に美女をはべらせたり、
目の前で舞姫に踊らせたりといったことが
できないものかと夢を見る。

これは、ほとんどの男にはできるものでは
ないが、一国の天子にでもなれば簡単に
できるのである。

そして、この欲望もまた国力を落とす
もとになる。

いかに女性の魅力が男を惑わすもので
あるかを示す、こんな話がある。

春秋時代の魯(ろ)の国。

定(てい)公が魯君の位につき、
孔子(こうし)を中都(ちゅうと)と
いう地の長官に任命した。

一年たつと、四方の諸侯は孔子のやり方を
手本として見習うようになった。

孔子は司空(しくう)
(土木水利などを掌る大臣)に任ぜられ、
さらに大司寇(だいしこう)
(司法警察の事を掌る大臣)に抜擢された。

定公が斉の景(けい)公と
夾谷(きょうこく)の地で会合を行った際、
孔子は補佐役として出席した。

孔子がいうには、

「政治問題の交渉には軍備を忘れるなと
 申します。どうか近衛(このえ)の
 武官も従えておいでください」

と。

こうして、定公は景公と会見した。

終了後、斉側の役人は、
四方の夷狄(いてき)(野蛮な民族)の
音楽を奏して座興に添えたいと申し出た。

そして、旗指物を振り、剣や矛(ほこ)など
の武器を手にし、太鼓をたたきながら
楽人が登場した。

孔子はこれを見て小走りに進み出て言った。

「両国の君が友好関係を結ぶ神聖な会合に
 おいて、けがらわしい夷狄の音楽など、
 なぜ奏するのですか」

斉の景公は恥じ入って、
手で合図してこれを去らせた。

すると斉の役人が、

「宮中の楽を奏したい」

と願い出た。

今度は芸人や侏儒(こびと)がふざけた
仕草をしながら現れた。

孔子はまた進み出て言った。

「下賤(げせん)の身でありながら
 諸侯の目をくらませ惑わす者は、
 その罪、死刑に相当します。

 役人に命じ、
 法律にあてて処分すべきです」

芸人や侏儒はその場で斬り殺された。

景公は恐れ入り、
帰国してから臣下を前に嘆いた。

「魯では君子の道をもって、
 その君を補佐しているのに、
 汝(なんじ)らは野蛮人の道をもって
 わしを導いた。恥ずかしいことだ」

そこで斉はかつて魯から奪ったウン、
ブン陽、亀陰(きいん)の各地を返して、
魯に陳謝した。

孔子はその後、大司寇の職を続けながら、
宰相の職務も代行するようになった。

わずか七日目には国政を乱した罪で、
大夫の少正卯(しょうせいぼう)を
死罪にした。

こうして三ヵ月もすると、
魯の国の政治は見違えるように
立派になった。

斉では、こうした魯の変化を聞いて、
このままでは魯は覇者となり、
斉は飲み込まれてしまうと恐れた。

そこで使ったのが美女である。
斉はこれにやられてしまった。

「史記」によって補足しよう。

斉は、国中の女子の中から
美女八十人を選び、
きらびやかな着物を着せ、
官能的な歌舞を学ばせた。

これを飾り立てた馬車三十台に乗せて
魯に贈ったのである。

大夫の季桓子(きかんし)が
美女にみとれて政治を顧みなくなった。

季桓子は視察などと称しては
定公を連れ出し、ふたりで一日中、
女たちばかり見て、政治を怠ったのである。

それでも孔子はあきらめなかった。

郊祭(こうさい)という天地を神として
あがめ祀(まつ)る日に、君主がその
供え物を臣下に与え、それぞれの臣下を
尊重するという儀式がきちんと行われる
ならば、まだ見込みがあると思ったのだ。

しかし、結局、それも行われなかった。

それで孔子は失望し、
とうとう魯の国を去ったのである。

孔子ほどの人物が礼にのっとった政治を
行い、わずかな期間で隣国を恐れさせる
ほどになり、覇者(諸国の同盟の中心)への
道が見えたにも関わらず、美女の舞にうつつ
を抜かし、国にとって何よりも重要な人物、
孔子を去らせてしまった。

つまり、孔子よりも美女を選んだわけで
ある。男がいかに美女に弱いかが分かる話で
ある。

→続く酒と女(3)六ヵ条の教え」
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