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「十八史略」に学ぶ兵法経営【目次】

8.時代を読む先見と行動編

天変地異が人々に与える影響と心理的作用(3)王安石、失脚 

北宋の神(しん)宗は、あるとき、
新法を推進している
王安石(おうあんせき)に対して尋ねた。

「お前は三不足の説を知っているか」

王安石が知らないと答えると、神宗は、

「ならば教えてやろう。

 世間の者たちは
 『朝廷では天変地異など恐れるに足りな
 い、人の評判は気にするに足りない、
 祖宗の定めた法は守るに足りないとして
 いる。けしからん』
 といっているそうだ。

 昨日も、学士院から役所の職員登用の
 ための試験問題を持ってきたが、
 専(もっぱ)らこの三つのことが
 指摘してあった」

といって、王安石を暗に注意した。

熙寧(きねい)六年(西暦千七十三年)の
七月から七年の四月まで、
雨が久しく降らなかった。

作物が育たず、食糧不足に陥った
河東(かとう)、河北(かほく)、
陝西(せんせい)の民が食を求めて都の
開封(かいほう)に流れ込み、
門外は餓えた民でうずまるほどであった。

ときに安上門の監督官であった
鄭侠(ていきょう)という者が、
そのあり様を絵に描き、上書していった。

「陛下、南征北伐をなされる際には、皆、
 勝利の軍の勇ましい様子を描いて
 献上してきております。

 しかし、今、天下の人民の憂いや苦しみ、
 妻子すら養えずにあちらこちらを移ろい、
 疲れ果て、衣食に事欠いている状態を
 絵に描いて献ずる者は一人もおりません。

 この絵は安上門の上から日々見たもので、
 人々の苦しみの百分の一にも及びません
 が、それでも涙をさそいます。

 都の近辺でもこうなのですから、
 遠方の窮状はどんなにひどいもので
 ありましょうか」

旱魃(かんばつ)はいつまでも続いた。

そこで天のとがめを心配した神宗は、
その原因について広く民間からの率直な
意見を求めた。

発言する者は皆、こぞって王安石の新法を
原因としてあげた。

神宗もこれを疑って、
新法を廃止してしまおうと思った。

王安石は不満を抱き、
神宗に朝廷を去ることを求め、
江寧(こうねい)府の地の長官として
転出していった。

このように、天変地異は政治そのものを
変えてしまうこともあった。

ただ、皆が皆、天変地異を人災と
考えていたわけではない。

王安石が不満だったのも、自分のせいだとは
これっぽっちも思っていないからだ。

→続く「天変地異が人々に与える影響と心理的作用(4)改革のきっかけに」
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