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「十八史略」に学ぶ兵法経営【目次】

8.時代を読む先見と行動編

これから起きることの本質(4)突然変異に注意 

西夏や金だけを亡ぼそうと
動いていたのではない。

「十八史略」には以下の記述がある。

嘉定十一年(西暦千二百十八年)には
高麗(こうらい)王が元に降伏し、毎年、
高麗の産物を貢ぐことを申し出た。

嘉定十七年に、
元の太祖は東インドに侵入した。

宝祐(ほうゆう)五年
(西暦千二百五十七年)、
元軍が安南(あんなん)
(現在のベトナムの北部から中部)を
征伐して、城中の者をことごとく殺した。

日本国王に国書を賜った。
(これが何年のことか書かれていないが、
 西暦千二百七十四年の第一次元寇
 〈げんこう〉文永の役〈ぶんえいのえき〉
 前の交渉段階のものである)

これだけでもかなりの広範囲を支配の対象と
考えて動いていることが分かる。

「十八史略」は中国を中心に書かれた書物
なので元に関する記載が少ないが、元の
最大版図は、東は中国から西は現在の東欧
あたりにまで広がった。

遊牧民族特有の機動力であっという間に
勢力を拡大したのである。

金の皇帝、允済(いんせい)が、
臣下の礼をとらない元の太祖、
成吉思汗(じんぎすかん)に腹をたて、
元を討とうとし、逆に多数の金兵を殺されて
しまったのが西暦千二百十年である。

この頃、元はようやく文字を学び始めた
ばかりの野蛮人であった。

豊かな文明を保有している金や南宋から
見れば、まさか自国をおびやかす存在に
なろうとはこれっぽっちも思えない存在
だったのではないか。

それが、成吉思汗や忽必烈(くびらい)と
いうような極めて強力なリーダーの出現に
より、一気に世界帝国へと成長した。

つまり、過去の延長線上のものではなく、
突然変異のような形で元は巨大化したわけ
である。

金も南宋もこれに対応できなかったのだ。

元は勢力範囲を広げたことで、
シルクロードによって新しい文明も
どんどん吸収した。

例えば、第四代皇帝憲宗(けんそう)の頃に
イラン系の人物から暦法や天体観測器が
持ち込まれ、それをもとに天文台も
作られている。

また、西洋式の投石器がこれまたイラン系の
人間からもたらされ、戦争で使われたようで
ある。

その他、元は政治経済、文化、宗教など
幅広い分野で南宋やイスラムなどの知識を
吸収し、野蛮人の国から瞬く間に
世界の一流国家へのし上がった。

ひるがえって現代を考えてみると、
今、まさにこれと同じようなことが
起きようとしている。

お隣の中国を始めとしたBRICs(ブリックス)
(ブラジル、ロシア、インド、 中国の頭文
 字を合わせた四カ国の総称)

の台頭、
世界を支えてきた米国や欧州経済の停滞、
コントロール不能の為替相場、中東や
北アフリカ諸国での民主化運動、
瞬時に人々が情報を共有できる端末や
ソフトの出現など、
日本人を取り巻く環境が過去の延長線上の
ものとは異なる、まったく新しいものに
変わりつつあるのだ。

金や南宋は変化に対応できなかった。

過去をひきずったまま、自身の国の姿を
変えることができずに亡び去ったのだが、
日本も同じように亡びるのか、
それとも環境に適応して新しい日本に
生まれ変わるのか、今が瀬戸際である。

しかし、「十八史略」を読んでも分かるよう
に、一度、勢いを失った国が再び盛り返す
のは極めて難しい。

中興の祖と呼べるほどの総理大臣が出ない
限り、少なくとも近いうちに日本がまた
輝きを増すことはないだろう。

とすれば、企業経営者は

「日本はまだまだ大丈夫」

というような楽観論を捨てて、
あくまでも国内市場が縮小することを
大前提として戦略を組み立てる必要がある。

これから30年先、50年先に、

世界の中でどのような位置に立っているか

ということを考えて、
自社の進む方向を決めるべきだ。

南宋の末期、賈似道が朝廷内で専横に
振る舞っている頃は、誰もが私欲に走り、
国の滅亡が近づいていることすら
感じていなかったようだ。

日本では盛んに警鐘を鳴らしている
著名人もいるが、全体として危機感は薄い。

かつての高度成長の再現は望めないだろう。

企業経営者は日本という枠を越えるべき
ときがきていると認識すべきである。

→続く「天変地異が人々に与える影響と心理的作用(1)災害は人災」
「十八史略」に学ぶ兵法経営【目次】

 

 

 

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