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「十八史略」に学ぶ兵法経営【目次】

8.時代を読む先見と行動編

これから起きることの本質(1)テムチン誕生  

内部分裂から亡びていった北宋の事例は
多大な示唆を与えてくれるものであるが、
今の日本はこのような内部の問題に加えて、
IT革命や経済のグローバル化、
お隣の中国の巨大化など、
まったく経験したことのなかったような
変化にとまどっている面もある。

それは、北宋が南へ逃げ延びて南宋となり、
なんとか中原を回復しようという復旧を
思い描いて努力を重ねていたところへ、
元(げん)という、中国どころか
ヨーローッパまで勢力範囲に置く巨大帝国が
瞬く間に出現し、南宋を吹き飛ばして
しまったという歴史の事実に重ねることが
できるのではないだろうか。

いうまでもなく南宋が日本であり、
元が中国である。

元の出現は
どのようなものだったのだろうか。

南宋と金が対立を続けるなか、北方では
蒙古(もうこ)部族が興隆し始めていた。

金の世宗(せいそう)
(在位千百六十一年~千百八十九年)の時
にはすでに強盛となり、帝と称した。

南宋の開禧(かいき)二年
(西暦千二百六年)、元の太祖が
斡難河(おのんが)の川上で即位した。

太祖の姓は奇渥温(きやん)氏、
諱(いみな)は鐵木眞(てむちん)、
蒙古部族の人である。

太祖の父親の代に初めて諸部落を傘下に
入れ、強大となった。

この父親は元帝国の成立後に
烈祖(れっそ)神元(しんげん)皇帝と
諡(おくりな)された。

初め神元は、塔塔兒(たたる)部族を
征伐して、その首長の鐵木眞(てむちん)を
捕虜にした。

ちょうどそのとき、皇后が太祖を生んだ。

その子は手に赤い石のような
血の塊(かたまり)を握っていた。

神元はこれを不思議に思い、捕虜にした
鐵木眞の名をとってその子の名とした。

塔塔兒部族を征伐した武功を
記念するためであった。

→続く「これから起きることの本質(2)元、西夏を亡ぼす」
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