内部分裂から亡びていった北宋の事例は
多大な示唆を与えてくれるものであるが、 今の日本はこのような内部の問題に加えて、 IT革命や経済のグローバル化、
お隣の中国の巨大化など、 まったく経験したことのなかったような 変化にとまどっている面もある。
それは、北宋が南へ逃げ延びて南宋となり、 なんとか中原を回復しようという復旧を 思い描いて努力を重ねていたところへ、
元(げん)という、中国どころか ヨーローッパまで勢力範囲に置く巨大帝国が 瞬く間に出現し、南宋を吹き飛ばして
しまったという歴史の事実に重ねることが できるのではないだろうか。
いうまでもなく南宋が日本であり、
元が中国である。
元の出現は どのようなものだったのだろうか。
南宋と金が対立を続けるなか、北方では 蒙古(もうこ)部族が興隆し始めていた。
金の世宗(せいそう)
(在位千百六十一年~千百八十九年)の時 にはすでに強盛となり、帝と称した。
南宋の開禧(かいき)二年
(西暦千二百六年)、元の太祖が 斡難河(おのんが)の川上で即位した。
太祖の姓は奇渥温(きやん)氏、
諱(いみな)は鐵木眞(てむちん)、 蒙古部族の人である。
太祖の父親の代に初めて諸部落を傘下に
入れ、強大となった。
この父親は元帝国の成立後に 烈祖(れっそ)神元(しんげん)皇帝と
諡(おくりな)された。
初め神元は、塔塔兒(たたる)部族を 征伐して、その首長の鐵木眞(てむちん)を
捕虜にした。
ちょうどそのとき、皇后が太祖を生んだ。
その子は手に赤い石のような
血の塊(かたまり)を握っていた。
神元はこれを不思議に思い、捕虜にした 鐵木眞の名をとってその子の名とした。
塔塔兒部族を征伐した武功を 記念するためであった。
→続く「これから起きることの本質(2)元、西夏を亡ぼす」 →「十八史略」に学ぶ兵法経営【目次】
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