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「十八史略」に学ぶ兵法経営【目次】

8.時代を読む先見と行動編

大波乱の時代は過去に何度も起きている(6)北宋の滅亡  


神宗が亡くなり、十歳の哲(てつ)宗が
即位すると、旧法派の宣仁(せんじん)太后
が摂政となって政務を行い、
司馬光が副宰相に登用された。

そうしてしばらくは宣仁太后が亡くなるまで
は旧法派の天下となる。

しかし、その後、哲宗の親政が始まると、
哲宗は新法派を重用するのである。

それでも政治に情熱を傾ける皇帝が中心に
座っている間はまだ北宋ももっていたが、
哲宗の弟、徽(き)宗が即位すると、
周囲に佞(ねい)臣がはびこり、
ちょうどそのときに金(きん)という、
結果的に北宋を亡ぼす国が興ったのである。

考えてみれば、新法派も旧法派も、
北宋という国を建て直したいという思いは
同じであった。

その意味では同志なのだ。

ところが、その方法論が異なるということで
いがみ合い、互いに相手を遠ざけるように
なってしまった。

彼らはまだ真摯に政治に取り組んでいる
ところがあったが、時代が下るとそれも
無くなり、ただ私欲のみで動く者たちが
朝廷を牛耳って、
最後には亡ぼされてしまったのである。

現代の日本も多額の債務をかかえており、
領土問題はなかなか解決に向かわず、
しかも政界の対立が激しいという点は、
この北宋の状況によく似ている。

寇準、王安石、司馬光などのような
気骨あふれる政治家がいればまだよいが、
私欲のために政治を行う国会議員で
あふれるようになっていけば、北宋の
ように亡びてしまう可能性も出てくる。

今こそ、一致団結して国勢を
盛り返すべきときであるという
メッセージを、現代の日本人は
この事例から受け取らねばならない。

企業においても、一度、会社の方向性を
決断したら、全社員がその方向に向かって
全速力で走るような態勢を作り上げることが
重要だ。

方法論に問題があれば、それは修正を
加えればよいだけのことである。

分裂し、互いに批判し合っていたら、
第三勢力に亡ぼされてしまう可能性が高い。

→続く「これから起きることの本質(1)テムチン誕生」
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