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「十八史略」に学ぶ兵法経営【目次】

2.人間の本質と欲望編(基本)

酒と女(1)飲み過ぎて危機一髪


堕落した天子が必ずといってよいほど
はまっているものに、酒と女がある。

夏王朝を起こした禹(う)の時代、
儀狄(ぎてき)という者が初めて酒を
作った。

これを飲んでみてうまさに驚いた禹は、

「後世、必ずこの酒で国を
 亡ぼす者があろう」

と言い、儀狄を遠ざけたという。

禹は自分が酒におぼれることを
自ら避けたが、禹の予言どおり、
多くの者が酒の魅力にはまってしまった。

唐の時代、名君、宣宗(せんそう)皇帝の
後、宦官(かんがん)の言いなりになる
皇帝が続き、唐王朝は大きく傾いていった。

宣宗の後の懿宗(いそう)皇帝の頃から
政治の腐敗がひどくなり、朝廷では
奢侈(しゃし)が日に日に甚だしく、
巷では戦乱がひっきりなしに起こって、
租税の取り立てもいよいよ厳しくなって
いった。

次の僖宗(きそう)皇帝の御世、
塩の密売をやっていた黄巣(こうそう)
という者が立ち上がり、
私兵を組織して近隣城市を襲撃したのを
手始めに進撃を続け、
ついに東都洛陽(らくよう)に入城し、
続いて西都長安(ちょうあん)をも陥れて、
自らを大斉(だいせい)皇帝と称した。

このとき、大同(だいどう)と
振武(しんぶ)、両地の節度使
(辺境警備隊隊長)であった
李国昌(りこくしょう)に
所属していた将校たちは、李国昌の子、
李克用(りこくよう)をかつぎ出した。

「天下は乱れ、朝廷の号令も行われない
 今こそ、新しい英雄が現れて、
 功名を立て、富貴を求めるべきときで
 ある。

 振武(しんぶ)軍の李(り)
 (国昌のこと)の名はすでに天下に
 鳴り響いているが、その子の克用の
 武勇も諸軍中で最も秀でている。

 われわれが彼に協力して事を挙げた
 ならば、代(だい)州以北の地は
 簡単に手に入るだろう」

と言って、克用を説得したのである。

克用は決意して行動を起こし、
しばらくは快進撃を続けた。

しかし、盧竜(ろりょう)という地の
節度使などに敗北を喫し、
遠方の達旦(だったん)の地に逃走した。

ところが、長安が落城して猫の手も
借りたい朝廷は、李国昌、克用の親子を
許したので官軍に復帰した。

克用は長安を回復し、黄巣の軍をベン州まで
追撃して散々にこれを打ち破ったのである。

李克用がベン州にやってきたとき、
かつて黄巣軍の武将で、すでに官軍に
下っていた朱全忠は、入城した克用を
城内の旅館に泊めて丁寧にもてなした。

ところが、その席上で大酒を飲んでしまった
克用は、酔いに任せて全忠をさんざんに
愚弄したのである。

全忠は冷静さを保つことができなかった。
兵を率いて旅館を包囲し、襲い掛かった。

克用は酔いつぶれていた。側に仕える者が
その顔に水をぶっかけて緊急事態である
ことを告げた。

克用は驚いて目を見張り、弓を手にとり、
よろめき立って逃げ出した。

外は激しい雷雨であたりは真っ暗。
左右の者は酔った克用を助けながら、
稲光をたよりに城壁に縄をかけ、
これにすがって脱出した。

敵兵が橋のたもとを固めていたが、
お供の者たちが死力を尽くして戦ったので、
やっと渡り切り、難を免れたのである。

李克用は、黄巣の軍を破った後で、
完全に油断していたのであろう。

すでに同じ官軍になっているとはいえ、
かつての敵の前で酒を飲みすぎ、
相手を馬鹿にするというミスを犯して、
自らを死の危険にさらしてしまった。

朱全忠はこの後、唐を亡ぼして梁(りょう)
を建国した人物であり、その梁を破って
唐(後唐)(こうとう)を建国したのが
李克用の息子、李存勗(りそんきょく)で
ある。

酒の場の恨みが子孫の代まで続いたのだ。

→続く酒と女(2)孔子か美女か」
「十八史略」に学ぶ兵法経営【目次】

 

 

 

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