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「十八史略」に学ぶ兵法経営【目次】

8.時代を読む先見と行動編

大波乱の時代は過去に何度も起きている(3)セン園の盟  


これより以前に、北宋の将軍で
王継忠(おうけいちゅう)という者が
契丹の捕虜となっていた。

彼はいつも契丹に対して、北宋と和睦する
ことの利益を説いていた。

今回、大挙して北宋を攻め寄せたけれども
うまくいかなかったので、
契丹は使者を遣わし、
王継忠の手紙を持たせて和議を請うた。

真宗はこれを承諾した。

契丹側は講和の条件として、
関南(かんなん)の旧領土を返して
もらいたいと願い出た。

この領土問題の変遷はこうである。

北宋の前、五代の頃、後晋(こうしん)の
石敬トウ(せきけいとう)は、
後唐(こうとう)を討つ際、
燕雲(えんうん)十六州の割譲を条件と
して契丹に支援を求め、
即位後に約束どおり与えたのである。

その後、後周(こうしゅう)の
世(せい)宗は契丹を破り、
十六州のうちの三州を奪回した。

今、北宋に対して「旧領土」と
契丹がいっているのは、
この三州のことである。

真宗はこの申し出にこう答えた。

「土地は絶対に渡すわけにはいかない。

 その代わりに金帛(きんぱく)を
 与えて講和しよう」

寇準は土地も金帛も与えたくなかった。

そこで、契丹討伐の計画を真宗に
示していうには、

「この計画のようにすれば、百年後も
 わが国は無事を保つことができます。

 こうしなければ、契丹はまた
 数十年後に襲ってくるでしょう」

寇準は、この際、契丹を完膚なきまでに
叩きのめしたいと思ったのである。

しかし、真宗はこういった。

「数十年後には、きっと契丹を
 防ぐことができるだろう。

 私はこれ以上、人民が苦しむ姿を
 見たくはないのだ。

 契丹の申し出た和議を許してやろう」

こうして真宗は、
また契丹へ使いを送ることになった。

使者は、年々契丹に贈る金帛の数量に
ついて真宗に伺いを立てた。

真宗は、

「どうしてもやむを得ない場合は、
 百万でもいい」

といったが、
寇準は使者をこっそり招いて伝えた。

「陛下はあのようにおっしゃったが、
 絶対に三十万を越えてはならぬぞ。

 もしもこの数を越したならば、
 生きて帰ってこの私の前に姿を
 見せるな。

 ただちにお前をぶち斬るからな」

使者は契丹におもむき、絹二十万、
銀十万をもって和議を結び、
北宋を兄となし、契丹を弟となして
友好的な関係を築くことを誓約して、
それぞれ兵を解き、本国へ帰還した。

これは

「セン園(せんえん)の盟(ちかい)」

と呼ばれ、景徳元年(西暦千四年)に
結ばれた。

以来、北宋と契丹の間は数十年間、
平和であった。

→続く「大波乱の時代は過去に何度も起きている(4)また領土問題」
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