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「十八史略」に学ぶ兵法経営【目次】

8.時代を読む先見と行動編

大波乱の時代は過去に何度も起きている(1)契丹と北宋  


前章まで見てきたように、
「十八史略」には数え切れないほど人間と
人間の争いが描かれている。

親族内、朝廷内などでの内部抗争、
王朝の簒奪者の出現、
異民族を始めとした外敵との争い
などである。

これらの争いを制した者によって、
つかの間の平和がもたらされ、
しばらくするとまた争い始める。

人間はなんとも争い好きな動物のよう
である。

逆に考えれば、これだけ争いの事例を
積み重ねてきている人間は、
どうすればこの問題を乗り越えることが
できるか、歴史に学んで解決策を
見出すことができるはずだ。

なかでも、北宋(そう)、南宋、
元(げん)などの興亡からは、
激動期を生きる我々にとって特に
参考になる教訓を見出せる。

景徳(けいとく)元年(西暦千四年)、
契丹(きったん)の聖(せい)宗は母と共に
大軍を繰り出して北宋に攻め寄せてきた。

聖宗が十二歳と若年のため、
母親が政務を行っていたのである。

北宋は朝廷の内外が震え上がった。

一人の副宰相がときの真(しん)宗皇帝に、
その者の故郷である蜀(しょく)に
避難するように請うた。

別の副宰相はまた、自分の故郷である
江南(こうなん)に避難するよう進言した。

真宗は、宰相の寇準(こうじゅん)に
意見を求めた。

寇準は、

「いったい誰がそのような策を
 計画したのですか」

と問い返した。

真宗は答えた。

「誰の策かは別として、まずそのどちらが
 よいか判断を示してくれ」

すると寇準は、

「私は、それらの弱腰の策を献じた者を
 捕まえ、ぶった斬って、その血を進軍太鼓
 に塗り付け、それから北方の契丹征伐に
 向かいたいと思うのみでございます」

これを聞いた真宗は、相談のうえで
真宗みずから征伐に向かうことに決めた。

→続く「大波乱の時代は過去に何度も起きている(2)真宗の前線進出」
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