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「十八史略」に学ぶ兵法経営【目次】

7.権力者が陥る罠と組織の崩壊編

手柄と慢心(4)       韓タク冑の判断ミス   


こうして数々の罪悪を積み重ね、
挙句の果てに隣国の金(きん)とも紛争を
引き起こし、国境で戦端を開くに至った。

これより以前に、蒙古部(もうこぶ)と
いう部族が北方に興っていた。

金の世(せい)宗のときに、すでにその
勢力は強盛となり、帝と称していた。

その後、金の章(しょう)宗の時代に
なると、蒙古の兵が長駆(ちょうく)して
来襲してきたので、金はそれ以来、
戦争であわただしくなった。

韓(かん)タク冑(ちゅう)は、
金にすきありという情報を得て、
この機会に失った中原の地を回復できると
考えた。

開僖(かいき)二年(西暦千二百六年)、
韓タク冑の主張により、寧宗は金討伐の
詔(みことのり)を発し、金と南宋の間
での数十年に渡った平和は終わった。

翌年、北方の金の征伐に出かけた南宋の
諸軍は、各地で総崩れとなり、
退却しないものはなかった。

金は大兵を発して、蜀(しょく)、
漢(かん)、荊(けい)、襄(じょう)、
両淮(りょうわい)の諸郡を陥れたので、
南宋側は大いに震え上がった。

しばしば使いを送って金に対して
謝罪の意を伝えた。

しかし、韓タク冑はまだ戦争を続行しようと
していたので、朝廷の内外もこのことを
心配し、ついに韓タク冑を誅殺せよという
議論が起こった。

→続く「手柄と慢心(5)韓タク冑、誅殺さる」
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