ハマモト経営HOME

「十八史略」に学ぶ兵法経営【目次】

7.権力者が陥る罠と組織の崩壊編

手柄と慢心(2)       韓タク冑の逆恨み   


趙汝愚(ちょうじょぐ)は政治を行うに
あたり、なるべく善人を登用し、
僥倖(ぎょうこう)を願うような
小人を抑えるようにした。

そのため、小人どもは喜ばず、
互いに連携しあって趙汝愚を排斥した。

朱熹(しゅき)(朱子学の創始者)が天子の
政治顧問と書物の教育担当を兼ねた任に
就いて朝廷に到着すると、その進言すること
はことごとく韓(かん)タク冑(ちゅう)の
意に逆らうものであったため、
朱熹はその一派に憎まれ、
朝廷にあることわずか四十六日で
罷免されてしまった。

この措置に対し、ある者はこういった。

「朱熹が今回、朝廷を逐(お)われたことに
 ついて、遠くの者も近くの者も悲しんで
 いる。

 朱熹のような天下の賢人が朝廷を去るよう
 なことでは、誰もが去ることを欲する
 だろう。

 もしも正しい者がことごとく去ったなら、
 いったい国の政治をいかにして行うと
 いうのか」

宰相の趙汝愚は、袖の中から朱熹罷免の
沙汰書を取り出して返上したり、諫めたり、
懇願したりしたけれども、
寧宗は一向に聴き入れなかった。

韓タク冑は、趙汝愚をも放逐しようと狙って
いたが、いい名目が見当たらなかった。

すると、ある男がこう教えた。

「趙汝愚は皇室と同じ姓であり、
 皇位を狙っていると中傷すれば、
 趙汝愚ばかりかその一味までも一挙に
 亡ぼすことができるでしょう」

韓タク冑はなるほどとうなずいた。

趙汝愚は宰相の地位にあること、
わずか数ヵ月で罷免されて、
次々と位を落とされ、遠方へ流された。

彼はとうとう毒をあおって死んだ。

→続く「手柄と慢心(3)韓タク冑の威勢」
「十八史略」に学ぶ兵法経営【目次】

 

 

 

inserted by FC2 system