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「十八史略」に学ぶ兵法経営【目次】

7.権力者が陥る罠と組織の崩壊編

手柄と慢心(1)韓タク冑の幸運   


人は時々「自分はすごい人間だ」と
勘違いすることがある。

努力を重ねて、あるいは偶然の運のよさに
よって何かを成したときに、結果を謙虚に
受け止めてさらに努力を重ねるか、
自分を過大評価して慢心するか。

どちらの方向に向かうかが人の運命を
大きく左右する分かれ目となる。

南宋(そう)において、孝(こう)宗皇帝が
亡くなったとき、次の光(こう)宗皇帝も
病が重かったので、枢密院の長官であった
趙汝愚(ちょうじょぐ)は、こっそり
嘉(か)王(後の寧(ねい)宗皇帝)を
助けて天子に戴(いただ)くという
議案を立てた。

高(こう)宗の皇后であった
太皇太后(たいこうたいごう)が皇室の
行く末を心配しているということを知り、
嘉王の件を申し上げようと考えたが、
これを太皇太后に取り次いでくれる人物が
いなくて困っていた。たまたま、
知閤門事(ちこうもんじ)(皇帝の側近武
官)の韓タク冑(かんたくちゅう)という
者がいた。

彼は賢宰相とうたわれた韓琦(かんき)の
ひ孫で、太后の妹の子であった。

そこで趙汝愚は韓タク冑に頼んで、
大奥に入って太皇太后に奏上した。

そこで太皇太后は御簾(みす)を垂れて
嘉王に引見し、宮中に入れて即位させた。

病気で寝ている父の光宗に代わって孝宗の
喪(も)を執り行わせたのである。

朝廷の内外で心配していた者たちは
ようやく安心した。

光宗は寿康(じゅこう)宮に居ることと
なり、その後六年、五十四歳で崩じた。

留正(りゅうせい)に代わって趙汝愚が
宰相となったとき、韓タク冑は自分が
新帝の寧宗擁立に際して手柄のあったことを
鼻にかけ、格別の恩賞を期待したが、趙汝愚
はよい地位を与えてくれなかったので、
次第に韓タク冑は彼を怨むようになった。

→続く「手柄と慢心(2)韓タク冑の逆恨み」
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