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「十八史略」に学ぶ兵法経営【目次】

7.権力者が陥る罠と組織の崩壊編

死にゆく者が考えること(3) 劉邦、武帝の死後も乱れる     


西漢(かん)の高祖、劉邦(りゅうほう)
は、死に際して、呂(りょ)后から丞相を
誰にしたらよいかと聞かれ、
四名の名を挙げた。

それらについて、
呂后は劉邦の言うとおりに重く用いた。

しかし、これは呂后にとっても都合が
よかったという面が大きい。

先代以来の功臣を置いておく方が朝廷内は
安定するからだ。

一方で、劉邦が寵愛した戚(せき)夫人と
その子如意(じょい)は殺された。

また、劉氏以外の者が王に立ったら討てと
いう遺言に反して、
劉氏を除いて呂氏一族を王に立てた。

劉邦の願いを、糟糠(そうこう)の妻で
ある呂后はみごとに無視したのである。

西漢の孝武(こうぶ)皇帝は、
死を意識したとき、太子の母である
鉤弋(こうよく)夫人を殺した。

この夫人がまだ若く、自分の死後に
勝手気ままに権勢をふるい、国家を乱す
可能性があると考えたからだ。

確かに鉤弋夫人の外戚などによる専横は
見られなかったものの、
新皇帝の兄の一人が、自分が選ばれなかった
ことに不満を抱いて反乱を起こした。

また、これに乗じて新帝の皇后の外戚が
権力奪取を図って政治闘争を繰り広げた。

つまり、新帝の母親を一人殺したところで、
政権内の争いを止めることはできなかった
のである。

若くして殺された鉤弋夫人があわれである。

→続く「死にゆく者が考えること(4)劉備と諸葛亮」
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