同じく春秋時代の末期、 呉(ご)王の闔廬(こうりょ)は越(えつ)
との戦争で傷を受け、それがもとで死んだ。
死に際して闔廬は、
「夫差よ、父が越王句践(こうせん)に
殺されたことを忘れるな」
といった。
夫差はこの言葉を忘れずに努力を重ね、
越に報復して越王を殺す寸前までいった ものの、平身低頭で命乞いをする越王を 許してしまう。
その二十年後、 逆に呉は越に亡ぼされてしまった。
父を殺されたことに報復をするならば、
越王を追い詰めたときに殺すべきであった。
生かしてしまったことで、夫差は父の遺言を
聞かなかったということになる。
この事例でも、 死にゆく者の考えたことは実現していない。
そればかりか、逆に息子を殺してしまう結果 となってしまった。
→続く「死にゆく者が考えること(3)劉邦、武帝の死後も乱れる」 →「十八史略」に学ぶ兵法経営【目次】
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