権力の頂点、あるいは、その近くにまで
上った者たちにもやがて死が訪れる。
そのとき、何を考え、 どんなことをするのだろうか。
いくつかの事例をもとに考えてみよう。
春秋(しゅんじゅう)時代、 斉(せい)の宰相、管仲(かんちゅう)は、
桓(かん)公から管仲の死後の宰相を 誰にしたらよいかと問われ、 特に三名の名を挙げて、
彼らを宰相に任命しないように伝えた。
ところが、生前は「仲父(ちゅうほ)」
(管仲を父として尊敬する意)とまで 呼んでいた管仲の助言を無視して、 桓公はその三名を重く用いた。
結果として政治は乱れ、 公子達の後継者争いも勃発。
桓公の死後、納棺されるまでの六十七日間、
その遺体は放置されたままになり、 納棺後もなかなか埋葬されず、 やがて蛆(うじ)が湧いて
部屋からあふれ出したという。
管仲のような賢人でも死後を思いどおりに できないと痛感させられる事例である。
→続く「死にゆく者が考えること(2)闔廬の遺言」 →「十八史略」に学ぶ兵法経営【目次】
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