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「十八史略」に学ぶ兵法経営【目次】

7.権力者が陥る罠と組織の崩壊編

右腕が邪魔に(3)      趙匡胤、力の奪い方    


これに対して宋(そう)の太祖
趙匡胤(ちょうきょういん)は、
不安を取り除くのに円満解決の道をとった。

太祖は、反乱を起こした節度使らを誅殺した
後、重臣の趙普(ちょうふ)を召して、
尋ねた。

「私はすでに天下の兵乱を止めて、
 国家長久の計画を立てようと思っている。

 どうすればよいであろうか」

趙普はこう答えた。

「唐(とう)の末から五代の間、帝王が
 次々と変わったのは、節度使に大変な権力
 を与えたために、君主が弱く臣下が強いと
 いう現象が起こったからです。

 この際、節度使の権力を弱めるにこした
 ことはありません。

 節度使の自由になる金銭、米穀を制限し、
 その精兵を朝廷の方で召し上げてしまえ
 ば、天下は自然と太平になりましょう」

趙普はさらにこういった。

「近衛軍の長官の石守信(せきしゅしん)ら
 は、皆、部下を統制できるような
 人材ではありません。

 他の職を授けた方がよいでしょう」

太祖は趙普の意見になるほどとうなずき、
石守信らを召して酒宴を催した。

宴もたけなわになった頃、
お側の者を遠ざけていうには、

「私はそちらの力が無ければ、この天子の
 地位に至ることはなかったであろう。

 しかし、即位してから、まだ終夜、
 ぐっすりと眠ることができないのだ。

 この地位は、
 誰もが狙っているのだからな」

これを聞いて、石守信らは平伏していった。

「陛下、何故、
 そのようなことをおっしゃるのですか。

 天命はすでに定まっております。

 誰がこの期に及んで謀反しようなどと
 思うでしょうか」

太祖はいった。

「お前たちにそのような異心が無いとは
 いっても、部下が富貴を欲したとすれば
 どうするか。

 ひとたび天子の服を無理矢理に着せられた
 としたら、謀反せずにはいられまい」

石守信らは平伏したまま、
涙を流して訴えた。

「私ども、愚か者にてそこまで考えが
 及びませんでした。

 何とぞ不憫(ふびん)とお思いくださり、
 私どもが生きながらえる道を
 お示しください」

そこで、太祖はこう答えた。

「人生は、白馬が走り去るのを戸の隙間から
 眺めるようなもの。

 あっという間に過ぎ去ってしまうのだ。

 そのような人生において、
 人が富貴を求めるのは、
 多く金銭を蓄えることでみずからも楽しく
 過ごし、さらに子孫にも貧乏させまいと
 願うからにすぎない。

 そうであるならば、
 お前たちも兵馬の権力など捨て去り、
 地方の節度使となって大きな藩を守り、
 便利のよい土地や邸宅を選んで住み、
 子孫繁栄の計画を立ててはどうか。

 そして邸内には多くの歌手や舞姫を侍らせ
 て、毎日、酒を飲んでゆったりと暮らす。

 なんと善い生活ではないか」

石守信らは皆、拝伏(はいふく)して
感謝した。

「陛下、そこまで私どものことを思って
 くださるとは、まさに死者を生き返らせて
 骨に肉をつけるというもので、
 まことにありがたき幸せに存じます」

翌日、石守信らは病気と称して
辞職を願い出た。

太祖は、石守信らの処遇について
頭を悩ましたにちがいない。

自分をかついでくれた彼らではあるが、
いつか自分を亡ぼす側に回る可能性も
あるからだ。

しかし、力でねじ伏せることを嫌った
太祖は、彼らの力を上手に奪い、
しかも満足のいく生活を送らせることで、
敵対勢力と化すことを防いだのである。

こうして太祖は、唐や五代の各国を
亡ぼすもとになった節度使を名誉職的な
ものとしてしまい、
そこに建国の功臣たちを封ずることで、
国家としての安定を築いたのだった。

右腕が邪魔になって殺してしまう権力者と、
宋の太祖のような名君では何が違うかと
いえば、やはり

私欲で動いているか、
国家安泰というような志で動いているか


の違いであろう。

天下を統一したときの仲間を統一後に
殺してしまうのであれば、それは私欲を
満たしたということに過ぎず、
仮に粛清しても、新たな怨みの種を
蒔くだけのことで安泰にはほど遠い。

企業、その他の団体でも、一定の成功を
目指すところまでは共に戦うが、
富と地位を得た頃から揉め始め、
功のあった者が追い出されたり、
分裂したりといったことがしばしば
起きている。

こうした私欲にもとづく権力争いを防ぐに
は、創業の目的や企業理念などを明確化し、
共有しておくことが欠かせない。

→続く「権力と硬直化(1)成帝と佞臣」
「十八史略」に学ぶ兵法経営【目次】

 

 

 

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