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「十八史略」に学ぶ兵法経営【目次】

7.権力者が陥る罠と組織の崩壊編

リーダーから人が離れていくとき(4)謝霊運の反乱    


南北朝時代の宋(そう)で、
謝霊運(しゃれいうん)が罪によって
死罪に処せられた。

彼は山や沢に遊ぶことを好み、
いつも数百名の従者を引き連れては山林を
伐採して小道を開き、事情を知らぬ民衆に
よって驚き騒がれた。

それで、謝霊運を嫌うある者がこれを
口実に、彼に謀反の心があると上表した。

文(ぶん)皇帝は、謝霊運の弁解を聞いて
許し、あらためて臨川(りんせん)郡の
知事に任命したが、態度が改まらず、
今度は役人に捕らえられてしまった。

謝霊運は兵を挙げて逃れ隠れ、
詩を作っていった。

「昔、韓(かん)が亡んだとき、
 張良(ちょうりょう)(後の西漢の重臣)
 は奮い立ち、仇を討とうとしたでは
 ないか。

 秦(しん)が起こったとき、
 魯仲漣(ろちゅうれん)(戦国時代の
 策士)は皇帝を尊ぶことを
 恥じたではないか」

つまり、自分は東晋(しん)の遺臣である
からには、今、宋朝の禄を食むのが
恥ずかしいといっているのだ。

こうして服従しないという意を表した
ものの、ついに生け捕りとなり、
広(こう)州に送られ、その後間もなく、
彼の屍(しかばね)が市中にさらされた。

謝霊運は、東晋の名将、
謝玄(しゃげん)の孫である。

自負心を捨てられぬまま宋に仕えたものの、
どうしても心から従えず、
反乱を起こしてしまった。

ただ、このような家臣がいることは、
まだ東晋王朝が人を引き付けていた
証拠であろう。

組織の崩壊は人心が離反することによって
起こるのであるが、離れかけたときに
きちんと対処すれば、
再度心を引き寄せることはできるものだ。

リーダーは、組織全体の雰囲気が
何かおかしいと感じたら、即座に原因を
分析して手を打つべきである。

問題が小さいうちならば、
いくらでも人の心の修復は可能なのだ。

→続く「女と子供(1)賈皇后と恵帝」
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