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「十八史略」に学ぶ兵法経営【目次】

7.権力者が陥る罠と組織の崩壊編

リーダーから人が離れていくとき(3)文公と介子推    


春秋時代、覇者の一人となった
晋(しん)の文(ぶん)公だが、
若い頃には苦労を重ねた。

父の献(けん)公は驪姫(りき)を
寵愛した。

自分の生んだ子を太子に立てさせようとした
驪姫の讒言(ざんげん)を信じた献公は、
太子の申生(しんせい)を殺し、
蒲(ほ)の地にいる次男の
重耳(ちょうじ)(後の文公)を攻めた。

そこで重耳は出奔(しゅっぽん)し、
十九年間もの亡命生活を各地で送った後に
ようやく国へ帰還したのである。

かつて重耳が曹(そう)にいたときに
食うものがなくなり、
飢えに苦しんだときのこと。

お供の介子推(かいしすい)は、
自分の腿(もも)の肉を切り取って
重耳に食べさせた。

のちに重耳が国に帰って文公となったとき、
亡命時に供(とも)をしていた
狐偃(こえん)、趙衰(ちょうし)、
テン頡(てんけつ)、魏シュウ(ぎしゅう)
の四人に厚い恩賞が与えられたが、
介子推には沙汰(さた)がなかった。

そこで介子推の従者が、
宮廷の門に張り札をした。

「一匹の竜がいた。初めは勢いがあった。

 しかし、しばらくして居場所が
 無くなった。

 そこで五匹の蛇を従えて、
 天下をさまよった。

 あるとき、
 食べ物がなくなって飢えに苦しんだ。

 一匹の蛇が腿の肉を切って
 竜に食べさせた。

 その後、竜は元の棲家(すみか)である
 淵(ふち)に帰って、
 そこに落ち着いた。

 四蛇もまた穴に入り、棲家を得た。

 ところが、あの飢えを救った一匹の
 蛇だけは穴もなく、荒野に泣いた」

文公はこれを見ていった。

「ああ、私の間違いであった」

そして文公は、人をやって介子推を探させた
が、なかなか見つからなかった。

綿上(めんじょう)山に隠れていると
分かり、出てくるようにと山を焼いたが、
介子推は出てこず、焼け死んでしまった。

後の人びとは、介子推をあわれんで、毎年、
その日に火を焚(た)くことを禁じ、
冷たい食事をしてその霊をなぐさめた。

文公は綿上山をとりまく田地を介子推の
所領として供養にあて、
介山(かいざん)と名づけた。

介子推は最後まで現れなかった。

しかし、その他の人びとは文公の行いを
見て、この人物にはついていけるという
思いを強くしたのではないだろうか。

人は誰でもミスを犯す。

しかし、権力を持っている身でありながら、
それを素直に認めて改めようとする者は
少ない。

その点、文公は自分の間違いを悟った
時点で、すぐに反省して対応策を打った。

こうした行動は、離れかけた人の心を
再度呼び戻すものである。

→続く「リーダーから人が離れていくとき(4)謝霊運の反乱」
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