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「十八史略」に学ぶ兵法経営【目次】

7.権力者が陥る罠と組織の崩壊編

リーダーから人が離れていくとき(2)亮の恐怖政治    


金(きん)の第四代皇帝となった
亮(りょう)は、先代皇帝を殺して
帝位についた男である。

かねてより南宋(そう)を亡ぼしたいと
考えており、ついに
紹興(しょうこう)三十一年
(西暦千百六十一年)、
南宋との盟約を破って兵を挙げた。

母の徒単(とぜん)太后がこれを諫めた
ところ、亮は母を殺し、
その行為で部下を威嚇した。

金の兵は百万と号して進撃し、南宋の
淮西(わいせい)の地の諸郡を陥れた。

江淮浙西(こうわいせつせい)の地の
長官であった劉錡(りゅうき)は、
一人の武将を遣わして金の兵を
迎え撃たせたが、その武将は途中で止まった
まま進まず、ついに退却して逃げた。

その報告が朝廷になされると、朝廷の内外の
人たちは大いに動揺し、恐れた。

なかには海に逃れて敵を避けようという
意見もあった。

しかし、南宋の朝廷側ではその意見を退け、
軍の態勢を立て直した。

金軍は揚(よう)州を陥れた後、
瓜(か)州に向かった。

劉錡は武将を遣わしてこれを
ソウ角林(そうかくりん)の地で破った。

南宋の高(こう)宗皇帝は詔(みことのり)
を下し、劉錡の軍を引き還(かえ)させて、
もっぱら長江(ちょうこう)沿岸を
防がせた。

金の亮は長江を渡ろうとし、
南宋との間で死闘が繰り広げられたが、
金軍は長江を渡ることができなかった。

時に金の亮は、本国で自分を廃して他の者を
即位させようとする内乱があると聞き、
さらに金の海軍で海路から進んだ者がすでに
宋側の将軍に舟を焼かれており、そのうえ、
南宋の諸郡が上流から下ってくるという
情報を得て、怒り心頭に発した。

そこで一度揚州に返った亮は、
諸将を集めて、

「三日以内に必ず長江を渡れ。

 もしも期日を過ぎたら
 ことごとく死刑だぞ」

と厳命を下した。

この命令に堪忍袋の切れた諸将は、
ついに亮を誅殺した。

最初、亮が兵を率いて南宋へ向かった際、
渤海(ぼっかい)の一軍がそむいて去り、
すぐに葛(かつ)王(後の金の第五代皇帝、
世〈せい〉宗)を遼陽(りょうよう)の地で
擁立していた。

葛王は亮の死を聞いて、ついに都の
ショウ京(しょうけい)に入り、
亮が殺した先帝に諡(おくりな)して
閔(びん)宗といい、亮の帝号を廃して
海陵(かいりょう)王となし、諡して
煬(よう)(悪逆な皇帝)と呼んだ。

恐怖によって軍を支配することは、
ときには必要なことがある。

しかし、人はそれが続くと
耐えられなくなり、逆に支配者を殺そうと
思うようになるのだ。

その思いは少しずつ積み重なり、
あるきっかけで爆発することになる。

金の亮は、力ずくで帝位をもぎとり、
戦略に反対する母を殺し、
言うことを聞かない臣下は容赦なく
切り捨てるという、自分の目標達成のため
には手段を選ばない男であった。

こうしたやり方では、人心が離れる
ばかりか、自分の命まで危うくなることを、
上に立つ者は心しておくべきである。

→続く「リーダーから人が離れていくとき(3)文公と介子推」
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