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「十八史略」に学ぶ兵法経営【目次】

6.リーダーの条件と承継編

承継でもめないようにするには…(5)明帝、章帝の時代    


明帝は幼い頃から
英邁(えいまい)であった。

光武帝が州郡に詔勅(しょうちょく)を
発して、開墾した田地や戸数、人口などを
調べさせたとき、諸郡はそれぞれ人を
遣わして報告させた。

陳留(ちんりゅう)の地の役人の書類を
見ると、上に何か書かれていた。

よく見ると、

「潁川(えいせん)、弘農(こうのう)の
 両郡は調査可。

 河南(かなん)、南陽(なんよう)は
 調査不可」

とある。

光武帝は役人にその理由を尋ねた。

役人はこうとぼけた。

「街中で耳にしたことを
 書き留めただけのことです」

光武帝は怒った。

このとき、劉陽(りゅうよう)(後の明帝)
はわずか十二歳であったが、
玉座の幕の後ろに居ながら、こういった。

「この役人は郡守の命令を受けてきただけ
 です。

 郡守は各郡の開墾地がどれくらいか、
 きちんと比較して、不公平が起こらない
 ようにしたいのでしょう。

 河南郡は帝城があり近臣の領地が多い
 地域、南陽郡は父上の郷里であり
 皇族の領地が多い地域です。

 この二郡については田地や宅地が広大で
 あり、他の郡と同じ基準で測ることが
 できません。

 その点を配慮したのでしょう」

光武帝は納得して、その役人に詰問すると、

「まさしくその通りでございます」

と白状して罪に服した。

光武帝は劉陽の聡明さに大いに感嘆した。

光武帝の死後、即位した明帝は
疑い深い性格で、探偵を使って自分の
臣下の秘密を摘発するなどの趣味があり、
怒ると杖(つえ)で臣下を突くなど乱暴な
部分はあったが、よく光武帝の時代に
作られた制度を遵奉(じゅんぽう)して
少しも変えなかったし、皇后の一門を
大名にも取り立てず、外戚が権力を奮う
こともなかったため、
光武帝の頃よりさらに国は発展した。

明帝の皇后、馬(ば)氏は慎み深い性格で、
馬氏の一族が高位に取り立てられることを
拒絶したとされる。

このような皇后のもと、側室が生んだ
明帝の五男が次の孝章(こうしょう)皇帝と
なった。

わずか三歳で太子に立てられたそうだが、
馬氏といとこ同士で仲がよく、
ここでも外戚の専横はなかった。

章帝の世も、
東漢の経済や文化は大いに発展したという。

兄弟がもめることなく、承継した天子を
盛り立てて国を発展させていくという理想が
実現している。

これができたのは光武帝の政治への真摯な
取り組み方や、太子や皇后を廃嫡される者に
対しても情愛のある配慮をしたことなどが
土台となっている。

人は大切にされていると感じれば、
謀反など起こさないものなのだ。

企業においても、時おり、後継者同士が争う
場面に遭遇する。

このとき、承継について一方が勝者に、
もう一方が敗者になるわけだが、
特に敗者の方にも大切にしているという
メッセージを送ることが欠かせない。

それなりのポストを用意し、
能力をフルに発揮できるように
環境を整えてやることである。

ただし、こうしたことも、
社長自身の普段の仕事ぶりが尊敬されて
いなければ、形だけのものに
終わってしまう。

地位の問題ではなく、
目前の仕事に全力投球することこそが
重要であることを、社長は普段から
身をもって教えなければならない。

→続く 7.権力者が陥る罠と組織の崩壊編「リーダーから人が離れていくとき(1)句践と范蠡」
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