ハマモト経営HOME

「十八史略」に学ぶ兵法経営【目次】

6.リーダーの条件と承継編

承継でもめないようにするには…(4)光武帝と明帝    


東漢の光武帝も、やはり一度、
太子を替えている。

光武帝の最初の皇后は郭(かく)氏であり、
郭氏との間に生まれた長男を
太子としていた。

しかし、光武帝の寵愛が衰えたことで
郭氏は光武帝に怨みを抱くようになり、
これを理由に皇后を廃されたのだが、
このとき、長男も太子を辞したいと願い出て
廃されている。

光武帝は太子を廃嫡しつつ、
郭氏との間にできた五人の子は皆、
各地の王に封じたままだったので、
郭氏一族は変わらず栄えた。

また、新しい皇后の陰(いん)氏との間にも
五人の子ができており、そのうちの一人が
光武帝から帝位を継承する孝明皇帝である。

明帝以外の四人も王公に封じており、
よく郭氏と陰氏の間で
バランスがとれているのである。

光武帝の働きぶりも参考になりそうだ。

天下がまだ平定されないうちから、
光武帝はすでに学問をもって天下を
治めようという志をもっていた。

即位した後、
まず太学(だいがく)を創建して、
古典を学んで手本とし、
また礼楽(れいがく)を明らかにした。

晩年には天子の政治を行き渡らせ
天帝を祭るための明堂(めいどう)、
天文観測により天変地異などを予見する
ための霊台(れいだい)、
そして辟雍(へきよう)という学校を
建てた。

これらの燦然(さんぜん)たる文物は
後世に述べ伝えるに足るものであった。

光武帝は毎朝早くから朝廷に出て政務を
行い、日が傾いてから仕事を切り上げた。

高位高官の者たちを呼び、
経書について説き、論じ、
夜半になってからようやく床についた。

皇太子(後の明帝)は心配して、

「陛下は古(いにしえ)の禹(う)王や
 湯(とう)王のように聡明であられます
 が、黄帝(こうてい)や老子のように性を
 養い健康を保つ道を失っておられます」

と諫めた。

すると、光武帝は、

「私はみずから、このようにすることを
 楽しんでいるのだ。

 疲れることはないよ」


と答えた。

このような父の姿を見ながら明帝は成長し、
位を継いだのである。

→続く「承継でもめないようにするには…(5)明帝、章帝の時代」
「十八史略」に学ぶ兵法経営【目次】

 

 

 

inserted by FC2 system