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「十八史略」に学ぶ兵法経営【目次】

6.リーダーの条件と承継編

権力承継の順序(2)寿夢と季札    


呉の国では、
太伯から十九代で寿夢(じゅぼう)に至り、
始めて王と称した。

寿夢には四人の男の子があった。

末子を季札(きさつ)といった。

季札は賢人であった。

そこで寿夢は、三人の子に上のほうから
順番に国を継がせ、最後に季札に番が
回るようにしようと思った。

しかし、季札は、それでは父子相続の義に
背くとして承知しなかった。

そこで結局、季札は延陵(えんりょう)の
地に封ぜられ、延陵の季子(きし)と
呼ばれた。

「史記」によると、
ここで季札が継がなかったことから、
季札のすぐ上の兄は王位を自分の息子に
継ぎ、長男の息子であった者
(のちの呉王、闔廬(こうりょ))と
争いが起こっている。

古公が季歴に継いだのは成功して、
寿夢が季札に継ごうとしたのは失敗に
終わり、それどころか朝廷に内紛を
起こしてしまった。

どんなに優秀な息子であっても、
本人にその気がなければ、
無理やり継ごうとすると失敗すると
いうことであろう。

寿夢は季札の意思を尊重し、
兄弟間で王位を回さず、
慣例の通り父子相続をきちんと
すべきだった。

→続く「権力承継の順序(3)趙匡胤と弟」
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