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「十八史略」に学ぶ兵法経営【目次】

6.リーダーの条件と承継編

権力承継の順序(1)古公と季歴    


権力をどのように伝えていくか。

権力を握った者は、
必ずこのことで悩まされる。

当然ながら、誰しも優秀な人間に譲りたいと
考えるものだ。

しかし、天子にわが子が複数いるとして、
年少の弟の出来がよく、
長男や次男の出来が悪ければどうするか。

親としては国を守るためにも弟の方に
譲りたいと思うだろうが、
そうすれば長男や次男が黙っていない。

兄弟で殺し合う事態に発展する
可能性もある。

そういったことを考えると、
単純に能力主義で決めるというわけにも
いかないのである。

周(しゅう)の文(ぶん)王の祖父、
古(こ)公亶父(たんぽ)は、
先祖がヒンの地に建てた国を継いだが、
北方の異民族が攻撃してきたため、
ヒンを去り、河を渡り、山を越えて、
岐山(きざん)のふもとに町を作って
住んだ。

ヒンの人びとは、

「仁君である。
 この君を失ってはならない」

といって、古公についてきた。

付近の諸国も、皆、古公に残らずなついた。

古公の長男は太伯(たいはく)、
次男は虞仲(ぐちゅう)といった。

その後に古公の妃(きさき)は
末子の季歴(きれき)を生んだ。

季歴は成人してある娘を娶(めと)った
ところ、昌(しょう)(後の文王)が
生まれた。

そのとき、
聖王の現れるめでたいしるしがあった。

太伯と虞仲は、
古公が季歴を後継者に立てて、将来、
昌に継がせたいと望んでいることを知ると、
そこで呉(ご)の国に逃げた。

そして、髪を切り、
入れ墨をして蛮族になりきり、
位を弟の季歴に譲った。

古公が死んで季歴が即位した。

季歴が死ぬと昌が即位した。

そしてこの昌は、
西伯(せいは)(西方諸侯の長)と
なったのである。

父親の意向を汲んで、
みずから身を引いた太伯と虞仲。

しかも、身なりまで蛮族と同じにして、
絶対に弟の季歴の政治を邪魔立てすることは
ないと示したのだ。

見事としか言いようがない。

→続く「権力承継の順序(2)寿夢と季札」
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