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「十八史略」に学ぶ兵法経営【目次】

6.リーダーの条件と承継編

 承継でもめる理由と結末(1)劉邦の承継失敗     


次の天子を誰にするかというのは
非常に重要な問題である。

王室の存続がかかってくるからだ。

世襲する場合、
通常は正室の長男に継ぐことが多い。

しかし、現在の天子がそれを望まず、
他の子供にしたい場合にはそうすることも
可能であった。

こうしたあいまいなルールは人の心に
「あわよくば」という欲望を
生じさせるものである。

西漢(かん)の高祖劉邦(りゅうほう)は、
もともと正室の呂后(りょこう)が生んだ
盈(えい)を太子と決めていた。

ところが、晩年、側室の戚(せき)夫人を
寵愛し、同夫人が生んだ如意(じょい)を
気に入ってしまった。

しかも同夫人も盈を廃して如意を立てるよう
劉邦に懇願したため、劉邦は盈太子を
廃して、如意を太子にしようと思うように
なったのである。

群臣が口々に諫めたものの、
劉邦の考えは変わらなかった。

しかし、最終的には呂后の画策によって、
盈が太子のまま存続し、劉邦の死後に
即位した。

その後、如意も戚夫人も、呂后に殺された。

盈は即位して孝恵(こうけい)皇帝と
なるが、戚夫人が人豚(ひとぶた)と
呼ばれる変わり果てた姿となって
死んでいくのをみてショックを受け、
その後は政務を放棄し、酒色にふけり、
二十代前半で命を落とした。

在位期間は七年であった。

もしも、劉邦が太子についての当初の方針を
揺るがすことがなければ、
呂后がむごたらしいやり方で戚夫人を
殺すこともなく、恵帝も元気に政務を
行い続けたかもしれない。

歴史に「もしも」は禁物だが、
劉邦の迷いがこうした悲劇を生み、
西漢王朝の存続を危うくしたのは
事実である。

→続く「承継でもめる理由と結末(2)楊堅の承継失敗」
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