ハマモト経営の指針集 『論語』より

参考図書『論語』宇野哲人全訳注 講談社学術文庫

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「陽貨孔子を見んと欲す。孔子見えず。孔子に豚を帰れり。孔子其の亡きを時として、往いて之を拝す。諸に塗に遇えり。孔子に謂って曰く、『来れ予爾と言わん。』曰く、『其の宝を懐いて其の邦を迷わず、仁と謂うべきか。』曰く、『不可なり。』『事に従うを好んで、亟時を失う。知と謂うべきか。』曰く、『不可なり。』『日月逝く、歳我と与ならず。』孔子曰く、『諾、吾将に仕えんとす。』」

読み方「ようか こうしを みんと ほっす。こうし まみえず。こうしに ぶたを おくれり。こうし その なきを ときと して、ゆいて これを はいす。これに みちに あえり。こうしに いって いわく、『きたれ われ なんじと いわん。』いわく、『その たからを いだいて その くにを まよわす、じんと いうべきか。』いわく、『ふかなり。』『ことに したがうを このんで、しばしば ときを うしなう。ちと いうべきか。』いわく、『ふかなり。』『じつげつ ゆく、とし われと ともならず。』こうし いわく、『だく、われ まさに つかえんと す。』」

(意味)陽貨(季氏の家臣)が孔子を呼んで会おうとした。孔子は会わなかった。陽貨は豚を贈った。(礼を言いにこさせようとしたのだ)孔子は、陽貨の留守のときに行って、礼を言うことにした。が、道でバッタリ遇ってしまった。陽貨が孔子に言うには、「こちらへ来なさい。私はあなたと話したい。」と。そして、「あなたのように道徳という宝を持ちながら邦の迷いを救わないのを仁と謂いますか。」孔子は「いいえ、仁ではありません。」と答えた。「あなたのように世を救うことを好みながらその機会を失うのは知と謂いますか。」孔子は「いいえ、知ではありません。」と答えた。「日月は過ぎ去ってかえらず。年歳は少しも留まらない。仕えるなら今ですよ。」孔子は「承知しました。私はもとより仕えようとしています。」と答えた。

→ 小人と話すときはどうすべきか。

孔子は、まるで相手の言うことがどういう意味か、全くわからないふりをしている。

小人を正面から相手にしてはいけない。言ってもわからないからだ。






「子曰く、性は相近し、習えば相遠し。」

読み方「し いわく、せいは あい ちかし、ならえば あい とおし。」

(意味)人の性は、初めは似通っているが、習う内容によって遠ざかるものである。

→ 人間は、誰から学ぶか、何を学ぶかによって変わってしまう。

だから、良い先生につく必要がある。

自分が学びたいことについて、先生を探そう。求めれば、与えられるはずだ。





「子曰く、唯上知と下愚とは移らず。」

読み方「し いわく、ただ じょうちと かぐとは うつらず。」

(意味)普通の人は習う内容によって変わるが、ただ上知と下愚の人物だけは一定で移りはしない。

→ 生まれながら知っている人、苦しんでも学ばない人は変わらない。

前者はともかく、後者は困ったものだ。

このような人物にだけはならないよう、自戒しよう。






〔子武城に之き、絃歌の声を聞く、夫子莞爾として笑うて曰く「鶏を割くに焉んぞ牛刀を用いん。」子遊対えて曰く「昔者偃や諸を夫子に聞けり。曰く『君子道を学べば則ち人を愛し、小人道を学べば則ち使い易し』と。」子曰く「二三子、偃の言是なり。前言は之に戯るるのみ。」〕

読み方〔し ぶじょうに ゆき、げんかの こえを きく、ふうし かんじと して わろうて いわく「にわとりを さくに なんぞ ぎゅうとうを もちいん。」しゆう こたえて いわく「むかし えんや これを ふうしに きけり。いわく『くんし みちを まなべば すなわち ひとを あいし、しょうじん みちを まなべば すなわち つかいやすし』と。し いわく「じさんし、えんの げん ぜなり。ぜんげんは これに たわむるるのみ。」

(意味)孔子が武城にいくと、人が琴を弾いて詩を歌っていた。武城という邑(むら)では孔子の門人の子遊が礼楽をもって民を治めていた。孔子は少し笑って「鶏のような小さい物を割くのに牛を割く刀を用いることはないではないか」といった。子遊が応えていうには、「昔、偃(子遊の名)は先生から『君子が道を学べば仁心が養われて人を愛し、小人が道を学べば温順になって使い易い』と先生から聞きました。」と。孔子がいうには「弟子達よ、今、偃が言ったことは道理にかなっている。わしが前に言ったことは戯れである」と。

→ 民が儒教の教えである詩経を歌うほど、子遊の教えが浸透していたのだ。

末端まで浸透するには、トップの率先垂範が徹底していなければならない。

会社では、本はトップにある。厳しいが、やりぬこう。






「子張仁を孔子に問う。孔子曰く、『能く五者を天下に行うを仁と為す。』之を請い問う。曰く、『恭・寛・信・敏・恵。恭なれば則ち侮らず。寛なれば則ち衆を得。信なれば則ち人任ず。敏なれば則ち功あり。恵なれば則ち以て人を使うに足る。』」

読み方「しちょう じんを こうしに とう。こうし いわく、『よく ごしゃを てんかに おこなうを じんと なす。』これを こい とう。いわく、『きょう・かん・しん・びん・けい。きょうなれば すなわち あなどらず。かんなれば すなわち しゅうを う。しんなれば すなわち ひと にんず。びんなれば すなわち こう あり。けいなれば すなわち もって じんを つかうに たる。』」

(意味)子張が仁の道について孔子に尋ねた。孔子がいうには、「よく五つの徳を天下に行うことが仁である。」と。子張がその徳目を問うた。孔子がいうには「恭・寛・信・敏・敬。恭で己を取り締まり放漫にならなければ、威が備わり人が侮らない。寛で心が大きく人を容れる度量があれば、衆人の心を得る。信で偽らなければ、人が己を頼んで疑わない。敏は怠らず勤めるのだから、仕事の成績があがる。恵は恵むのだから人が自分の仕事をするのを楽しむので、人を使うことができる。

→ 一言でいえば、「己に厳しく、人に優しく」ということになろうか。

自分の弱さを知れば知るほど、自分を叱咤し、鍛えぬこうと思うようになる。

また、他人の弱さを知り、寛容に接するようになる。己を知ろう。






「子曰く『由や、女六言の六蔽を聞けりや。』対えて曰く『未だし。』『居れ、吾女に語げん。仁を好んで学を好まざれば、其の蔽や愚。知を好んで学を好まざれば、其の蔽や蕩。信を好んで学を好まざれば、其の蔽や賊。直を好んで学を好まざれば、其の蔽や絞。勇を好んで学を好まざれば、其の蔽や乱。剛を好んで学を好まざれば、其の蔽や狂。』」

読み方「し いわく『ゆうや、なんぢ ろくげんの ろくへいを きけりや。』こたえて いわく『いまだし。』『おれ、われ なんぢに つげん。じんを このんで がくを このまざれば、その へいや ぐ。ちを このんで がくを このまざれば、その へいや とう。しんを このんで がくを このまざれば、その へいや ぞく。ちょくを このんで がくを このまざれば、その へいや こう。ゆうを このんで がくを このまざれば、その へいや らん。ごうを このんで がくを このまざれば、その へいや きょう。』」

(意味)孔子が「由(子路の名)よ、おまえは六言の美徳に六蔽があることを聞いたか。」と尋ねた。子路は「まだ承っておりません。」とこたえた。「まあ、座りなさい。私が話して聞かせよう。美徳は必ず学によって成就する。
仁を好んでも学を好んで理を明らかにしなければ、陥れられる。これを愚という。
知を好んでも学を好んで理を明らかにしなければ、窮むべからざることをも窮めようとする。これを蕩という。
信を好んでも学を好んで理を明らかにしなければ、小信を固守して利害を顧みず、人を害し己を害するに至る。これを賊という。
直を好んでも学を好んで理を明らかにしなければ、あまり厳しくて人情に外れるようになる。これを絞という。
勇を好んでも学を好んで理を明らかにしなければ、徒に血気の勇をたのんで上を犯し人をしのぐようなことをする。これを乱という。
剛を好んでも理を明らかにしなければ、わが意に任せて軽挙妄動するようになる。これを狂という。

と孔子が教えた。

→ 一部分を見て、全体を見なければ、間違った理解をしてしまう。

例えば、間違った「思いやり」は、悪人を助けることにもつながるのだ。

すべてにおいてきちんと学ぶことが大事。表を見たらその裏も見て、全体を理解しよう。






「子曰く、色獅ノして内荏なるは、諸を小人に譬うれば、其れ猶穿ユの盗の如きか。」

読み方「し いわく、いろ れいに して うち じんなるは、これを しょうじんに たとうれば、それ なお せんゆの とうの ごときか。」

(意味)孔子がいうには、顔色容貌は威厳があるが、内心は柔弱で、利をもって誘うことができ、害をもっておそれさせることができるのは、これを小人に例えてみると、壁に穴を開け、垣を乗り越えてひそかに物を盗む人のようである。常に見破られることを恐れているのだ。

→ 人間は、どのようにしてその心の中を見破ることができるか?

利をもって誘い、害をもって恐れさせることで、柔弱かそうでないかがわかる。

自分の判断基準をよく確かめながら、前に進もう。






「子曰く、郷原は徳の賊なり。」

読み方「し いわく、きょうげんは とくの ぞくなり。」

(意味)孔子がいうには、郷人の中で、勤厚だと称せられるけれども君子からそれを称せられない者は、徳を害する者である。

→ 表面はうやうやしく礼儀正しいが、心に邪悪をひそませるものがいる。

君子は、そのような人間はすぐに見抜いてしまう。

しかし、普通の人には「徳はあのようでなければ」と思わせる。注意したいものだ。






「子曰く、道に聴いて塗に説くは徳を之れ棄つるなり。」

読み方「し いわく、みちに きいて みちに とくは とくを これ すつるなり。」

(意味)孔子がいうには、道で聴いたことをすぐにこれを行く先で説くなら、自分の身には付かないから、自らその徳を棄てるのである。

→ いわゆる口耳の学は、何の益にもならない。

聴いたことを実践して体得し、始めて人に教えることができる。

徳は蓄えるもの。吐き出すようなマネは慎もう。






「子曰く、鄙夫は与に君に事うべけんや。其の未だ之を得ざるや、之を得んことを患う。既に之を得れば之を失わんことを患う。苟も之を失わんことを患うれば至らざる所なし。」

読み方「し いわく、ひふは ともに きみに つかうべけんや。その いまだ これを えざるや、これを えん ことを うれう。すでに これを えれば これを うしなわん ことを うれう。いやしくも これを うしなわん ことを うれうれば いたらざる ところ なし。」

(意味)孔子はいう。悪劣な者と共に君につかえることがどうしてできるだろうか。悪劣な者は、富貴権勢等を得ないうちはなんとか得ようとする。既に得てしまったら失うまいと苦心する。これを失うまいとすれば、どんなこともしないことはない。

→ 人の道をはずれてしまうと、人間は動物よりも恐ろしい。

富、権力を得、それを私物化する悪劣な者は、醜悪このうえない。

しかし、自分がそれを手にしたとき、社会のためにそれを使えるか。今のうちから思想を磨いておこう。




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