ハマモト経営の指針集 『論語』より

参考図書『論語』宇野哲人全訳注 講談社学術文庫

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「仲弓曰く、『敬に居て簡を行い、以て其の民に臨む。亦可ならずや。簡に居て簡を行わば、乃ち大簡なるなからんか。」子曰く、『雍の言然り。』」

読み方「ちゅうきゅう いわく、『けいに いて かんを おこない、もって その たみに のぞむ。また か ならずや。かんに いて かんを おこなわば、すなわち たいかん なる なからんか。』し いわく、『ようの げん しかり。』」

(意味)孔子の弟子の仲弓が「己をつつしむ心を持ちつつ、おおまかな行いで民に臨むのもまたよいのではありませんか。自らおおまかで、民に対してもおおまかな行いをするのは、おおまか過ぎませんか」と言った。孔子が言うには「そのとおり」と。

→ リーダーがメンバーを治めるにあたって、あまりにも細かく管理しすぎると、メンバーは嫌気がさす。

かといって、自分も大雑把で、メンバーの管理も大雑把であれば、統制がとれなくなる。

自分は自分をきちんと管理しつつ、メンバーに対してはゆるやかに当たれば、おのずとうまくいくものだ。





「顔回という者あり。学を好む。怒りを遷さず。過ちを弐たびせず。」

読み方「がんかいと いうもの あり。がくを このむ。いかりを うつさず。あやまちを ふたたび せず。」

(意味)(孔子の弟子の中で学問を好む人は誰かと聞かれ、孔子は)顔回という者がいました。心底学問を好みました。怒っても八つ当たりをすることはなく、同じ失敗を繰り返すこともありませんでした。

→ 徳を磨く学問を積んだ結果、精神面も思考方法面も強くなるということ。

つまり、人間的に大人になれるということだ。

現代は、このような学問をほとんど軽視しているので、大人物が非常に少ない。





「犂牛の子、あこうして且つ角あらば、用いること勿らんと欲すと雖も、山川其れ諸を舎てんや。」

読み方「りぎゅうの こ、あこうして かつ つの あらば、もちいる こと なからんと ほっすと いえども、さんせん それ これを すてんや。」

(意味)毛色のまだらな牛の子であっても毛色が赤く角もきちんとしていれば、人がいけにえには使いたくないと思っても、山や川の神はこれを捨てずに受け入れるだろう。

→ 親がどんな悪人であっても、子供を採用するかどうかは、その人物本位で決めるべきである。

どんな境遇に育ったとか、どんな家の出身だとかは、判断基準にしてはいけない。

採用者自身の「人を見る目」が問われるのだ。





「回や其の心三月仁に違わず。其の餘は則ち日に月に至るのみ。」

読み方「かいや その こころ さんげつ じんに たがわず。その よは すなわち ひに つきに いたる のみ。」

(意味)弟子の顔回は三ヶ月もの間仁の徳に違うことはない。その他の者は日に一度、あるいは月に一度仁の徳に至るのみである。

→ どんな人間でも、心が清らかになるひとときがある。

しかし、それを継続することは、ほとんどの者にはできない。

継続させるには、高いレベルの思想を体に練りこむことが必要だ。





「季氏、閔氏騫をして費の宰たらしむ。閔氏騫曰く『善く我が為に辞せよ。如し我に復びする者あらば、則ち吾はブンの上にあらん。』」

読み方「きし、びんしけんを して ひの さい たらしむ。びんしけん いわく『よく わが ために じせよ。もし われに ふたたび する もの あらば、すなわち われは ぶんの ほとりに あらん。』」

(意味)権力を振り回し無道である季氏が、孔子の弟子の閔氏騫を自領地の費の代官にしようとした。閔氏騫がその使いの者に言うには「善く私のために御辞退申し上げてください。もし再び私をお呼びになるならば、私はこの国を去って、斉の国へ参ります。」

→ 目の前に地位や富をぶらさげられたとき、どう行動するか。

もちろん、それを得ることが「義」にかなうか否かで判断するのだ。

それができるためには、普段から小さなことにも判断基準として「義」を適用し続けることが大切。





「賢なるかな回や。一箪の食、一瓢の飲、陋巷に在り。人は其の憂いに堪えず。回や其の楽しみを改めず。賢なるかな回や」

読み方「けんなるかな かいや。いったんの し、いっぴょうの いん、ろうこうに あり。ひとは その うれいに たえず。かいや その たのしみを あらためず。けんなるかな かいや。」

(意味)誠に賢いことだ、回は。竹の器一杯だけの食べ物、ひさご一杯だけの飲み物、狭い路地の棲家。普通の人なら貧しさを憂えて堪えられない。回は心の中で真に道を楽しんでいる。誠に賢いことだ、回は。」

→ 道を本当に理解すると、どんな境遇に置かれても、楽しむことができる。

それは、人生の目的である人格向上のためには、すべてがプラスになると知っているからだ。

道を悟れば、人生は楽しさでいっぱいになる。





「冉求曰く、『子の道を説ばさるにあらず。力足らざるなり。』子曰く、『力足らざる者は中道にして廃す、今女は画れり。」

読み方「ぜんきゅう いわく『しの みちを よろこばざるに あらず。ちから たらざるなり。』し いわく、『ちから たらざる ものは ちゅうどうに して はいす、いま なんじは かぎれり。」

(意味)孔子の弟子の冉求が「先生の教えをよろこんでいないというのではなく、私の力が足りないのです」と言った。孔子は「力が足りない者というのは、中途でやめてしまうものだ。今、あなたは力が足りないのではなく、自ら力を限定してしまっているに過ぎない。」と励ました。

→ 「自分にはできない」と言うのは、単に自分で自分の力を限定しているだけだ。

できるかできないかは、やろうと思うか思わないかにかかってくる。

「単にやらないだけ」に終わっていないか。可能性は無限にある。






「女、君子の儒となれ、小人の儒となるなかれ。」

読み方「なんじ、くんしの じゅと なれ、しょうじんの じゅと なる なかれ。」

(意味)あなたは自分自身が徳の高い学者になりなさい、有名になることを求めるような小人の学者にならないようにしなさい。

→ 富や名誉を得ていい気になっている有名人が多い。

しかし、特にリーダー的役割を果たさねばならない経営者、政治家、教師などは、

富や名誉の保有でなく、いかに社会的模範足りうるかが大事だ。君子を目指そう。






「子遊、武城の宰となる。子曰く、『女、人を得たるか。』曰く『澹台滅明という者あり。行くに径に由らず。公事に非ざれば未だ嘗て偃の室に至らざるなり。』」

読み方「しゆう、ぶじょうの さいと なる。し いわく、『なんじ、ひとを えたるか。』いわく、『たんだいめつめいと いう もの あり。ゆくに みちに よらず。こうじに あらざれば いまだ かつて えんの しつに いたらざるなり。』」

(意味)孔子の弟子の子遊が、武城というところの代官になった。孔子が「君は、立派な人を見出したか」と尋ねた。子遊は「澹台滅明という者がいます。常に大道を行き、小さな近道は通りません。公事でなければ未だかつて私の部屋に来たことがありません。私的にとりいろうなどとはしない男です。」

→ 小銭をかせぐ方法や、楽ができる方法があれば、それをやりたくなる。

しかし、それをやっている間、本来すべきことがおろそかになり、結果的には成長は遅れてしまう。

目的や目標を見失わず、わき目も振らずにまい進する方が、実は早道である。






「孟之反伐らず、奔りて殿す。将に門に入らんとす。其の馬に策うちて曰く、『敢えて後れたるにあらず。馬進まざるなり。』と」

読み方「もうしはん ほこらず、はしりて でんす。まさに もんに いらんと す。その うまに むちうちて いわく、『あえて おくれたるに あらず。 うま すすまざるなり』と」

(意味)孟之反という人は、誇ることをしなかった。戦いに敗れ、軍の殿(軍の後部)にいて敵を防ぎながら引き上げるのは立派な功なのだが、孟之反は引き上げて将に門に入ろうとするとき、乗っている馬を鞭で打って、「私は殿をしたのではない。この馬が進まなかったのだ」と言って、誇らなかった。

→ 「他人に認めてもらいたい」というのは、小人の考えること。

君子は、自ら理想とする行動を自らに課すのみであり、自分の功績を他人に自慢する必要などない。

他人にチヤホヤされると、道を間違うだけだ。己を修めることが大切。






「祝ダの佞ありて而して宋朝の美あらずんば、難いかな、今の世に免れんこと。」

読み方「しゅくだの ねい ありて しかして そうちょうの び あらずんば、かたいかな、いまの よに まぬかれん こと。」

(意味)祝ダ(弁舌に巧みな実在の人物)のよな弁舌がなく、宋朝(容貌の美しい実在の人物)のような容貌が無ければ、今の世に受け入れられるのは困難である。

→ 世の中がおかしくなってくると、必ず弁舌がうまい者や容貌の美しいものが台頭してくる。

つまり、本来大切な徳が軽視されるようになるのだ。

今の日本こそそうである。真のリーダーを目指すものにとっては、茨の環境が続く。






「誰か能く出づるに戸に由らざらん。何ぞこの道に由ること莫き。」

読み方「だれか よく いづるに こに よらざらん。なんぞ この みちに よる ことなき。」

(意味)誰もが外に出るのに門戸を通る。どうして事を行うのにこの道(道理)を通らないのだろう。

→ 当たり前のことなのに、それをしないで、例えば外に出るのに窓から出たりするようなことをしていないか。

正しさを追求するのが当たり前なのに、目の前の金を追求して失敗する。

つまり、人それぞれの欲が、人を惑わすのだ。己の欲を知ろう。




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