ハマモト経営の指針集 『論語』より

参考図書『論語』宇野哲人全訳注 講談社学術文庫

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「子罕に言う、利と命と仁と。」

読み方「し まれに いう、りと めいと じんと。」

(意味)孔子は利と命と仁についてはめったに言わない。

→ 利を語れば私利を計って義を忘れ、天命や仁は奥深く、広大すぎて理解しがたい。

言っても伝わりにくいことは、中途半端に教えてもダメだ。

つまり、本物を習得するには時間がかかるのである。学ぶ側が積極的に機会を作ろう。






「麻冕は礼なり。今や純なるは倹なり。吾は衆に従わん。下に拝するは礼なり。今、上に拝するは泰なり。衆に違うと雖も、吾は下に従わん。」

読み方「まべんは れいなり。いまや じゅんなるは けんなり。われは しゅうに したがわん。したに はいするは れいなり。いま、うえに はいするは たいなり。しゅうに たがうと いえども、われは したに したがわん。」

(意味)麻を織って冠にするのは古い礼だが、今は手間が省けて容易なので絹糸で織っている。道理上差し支えないので、私は衆人のすることに従う。臣が君を拝するとき、堂の下で拝するのが古い礼だが、今の人は堂の上で拝している。これは驕慢であり、道理上おかしい。衆人とは違うが、私は堂の下で拝する古い礼に従おう。

→ 義(正しい筋道)に照らして不都合があるか否かを判断基準とするのだ。

正しければ、古い礼を変えてもかまわない。むしろその方が合理的である。

たとえ皆がやっていることでも、義に違うならば、勇気をもってやらないようにしよう。






「子四を絶つ。意なく、必なく、固なく、我なし。」

読み方「し しを たつ。い なく、ひつ なく、こ なく、が なし。」

(意味)孔子の心には意(私意をもって事に臨むようなこと)がなく、必(なんでも予定通りに行おうとするようなこと)がなく、固(一事を固執して融通の利かないようなこと)がなく、我(ただ我あるを知って他人を考えないようなこと)がない。

→ 裏返せば、己を捨て社会のことを第一に考え、柔軟な思考で臨機応変に行動するということだ。

自分のことばかりにとらわれ、かつ「あるべき論」に固執すると苦しくなる。

苦しいのは、自分の考え方のどこかが間違っているからだ。捨てれば楽になる。






「吾知ることあらんや。知ることなし。鄙夫あり我に問う。空空如たるも、我その両端を叩いて竭くす。」

読み方「われ しる こと あらんや。しる こと なし。ひふ あり われに とう。こうこうじょたるも、われ その りょうたんを たたいて つくす。」

(意味)世間の人は私が何でも知っているように言うが、知ってはいないのである。いやしい男が私に道理を尋ね、その人が愚かで何も知らない様子であっても、私は全部のことを余すことなく多くを教えるので、何でも知っていると思うのであろう。

→ 孔子は謙遜して「何でも知っているわけではない」と言っている。

孔子はあまりにすごい先生だと思われると、人が親しまず、教えが広がらない。

よって、自ら低いレベルだと強調して親しむようにしている。実るほど、頭をたれるのだ。





「子、斉衰の者と冕衣裳の者と瞽者とを見れば、之を見れば少しと雖も必ず作ち、之を過ぐれば必ず趨る。」

読み方「し、しさいの ものと べんいしょうの ものと こしゃとを みれば、これを みれば わかしと いえども かならず たち、これを すぐれば かならず わしる。」

(意味)孔子は喪服の者と貴人の礼服の者と盲人とを見れば、自分が座っているときは相手が若くても必ず起立して敬意を表し、もしその前を通り過ぎれば小走りにはやく行き過ぎて、敬意を表した。

→ 孔子の礼の尽くし方がよくわかる。

自分が先生と呼ばれる身分であっても、礼はきちんと尽くし、仁を表現するのだ。

それでこそ人がついてくる。特に上に立つものは孔子の振る舞いを見習わねばならない。






「子貢曰く、『斯に美玉あり。トクにオサめて諸を蔵せんか。善賈を求めて諸を沽らんか。』子曰く、『之を沽らんかな。之を沽らんかな。我は賈を待つ者なり。』」

読み方「しこう いわく、『ここに びぎょく あり。とくに おさめて これを ぞうせんか。ぜんかを もとめて これを うらんか。』 し いわく、『これを うらんかな。これを うらんかな。われは かを まつ ものなり。』」

(意味)子貢がいうには、「ここに美しい玉(孔子のこと)があります。この宝を箱に納めてしまっておきましょうか、善い価を求めて売りましょうか。」 孔子がいうには「売ろうよ。売ろうよ。私は善い価で買う人を待つ者である。待ってもこなければ売らないまでである。」

→ 孔子は、自分を必要とする君主があれば、仕えるつもりであった。

ただし、必要として声をかける君主がいなければ、売らないまでのことだと考えていた。

自分を必要とするもののために努力する。それでこそ、主導権がとれる。






「子九夷に居らんと欲す。或人曰く、『陋し、之を如何。』子曰く、『君子之に居らば何の陋しきことか之あらん。』」

読み方「し きゅういに おらんと ほっす。あるひと いわく、『いやし、これを いかん。』 し いわく、『くんし これに おらば なんの いやしき ことか これ あらん。』」

(意味)孔子が九夷という東方の地に居ろうという意をもらした。或人がいうには、「九夷は風俗のいやしいところです。どうしておられましょう。」孔子が答えていうには、「君子がそこにいるならば、いやしい地も礼儀の行われる地にしてしまいますので、いやしいことはありません。」と。

→ いやしいところでも、トップがその気になれば、変えることができる。

九夷の君主が、孔子を用いれば、国は変わるのだ。

個人であれば個人の、会社なら社長の、国家であれば君主の意志で、変えることができる。






「出でては則ち公卿に事へ、入っては則ち父兄に事へ、喪事は敢えて勉めずんばあらず、酒の困れを為さず。何ぞ我にあらんや。」

読み方「いでては すなわち こうけいに つかえ、いっては すなわち ふけいに つかえ、そうじは あえて つとめずんば あらず、さけの みだれを なさず。なんぞ われに あらんや。」

(意味)出でて朝廷にあっては、爵位の尊い者につかえて誠を尽くし、入って家庭にあっては父兄につかえて孝をつくし、父母の喪には哀しみを尽くし礼を尽くすことを勉めないことはなく、酒を飲んでも行儀を失って乱れることがない。この4つについて、私はどれひとつできていないのである。

→ あるべき姿はどれくらい高いところにあるか。

それが高ければ高いほど、人生の最後まで努力することになる。

努力をやめたとき、現状維持ではなく衰退が始まる。目標は高く設定しよう。






「子川上に在りて曰く、逝く者は斯の如きか。昼夜を舎てず。」

読み方「し せんじょうに ありて いわく、ゆく ものは かくの ごときか。ちゅうやを すてず。」

(意味)孔子が川のほとりにいて言われるには、天地の間の変化が窮まりないのは、この川の水のようなものであろうか。昼夜休むことがない、と。

→ 川の流れが止まらないように、人間も絶えず変化している。

努力をやめたら、どんどん悪い方に変化するだけである。

良い方へ行こうと思ったら、片時も努力を怠ってはならない。命が果てるまで。





「吾未だ徳を好むこと色を好むが如き者を見ず。」

読み方「われ いまだ とくを このむ こと いろを このむが ごとき ものを みず。」

(意味)私はまだ徳を好むことが美色を好むのと同等な者を見たことがない。

→ 動物的欲望と人間的理性のどちらが勝っているか。

真のリーダーは、どのような状況下でも冷静・沈着さを失ってはならない。

横に自分好みの女性が座っていたとしても、心の中は判断力に満ちていることが大事だ。





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