参考図書『論語』宇野哲人全訳注 講談社学術文庫
読み方「し いわく、『せんしんの れいがくに おけるは やじんなり。こうしんの れいがくに おけるは くんしなり。』もし これを もちいば、すなわち われは せんしんに したがわん。」 (意味)孔子がいうには、「先輩の礼楽はかざりが少なくて野人のようである。後輩の今の人の礼楽はかざりと質がよくて君子のように立派である」というが、もし私が礼楽を用いるなら、先輩の礼楽を用いたい。(今の方がかざりが過ぎているからだ) 読み方「かいや われを たすくる ものに あらざるなり。わが げんに おいて よろこばざる ところ なし。」 (意味)弟子の顔回は私(孔子)を助けて知恵を増すような質問をすることはない。ただ私の言葉を聞いて悟って喜んでいるのみである。 読み方「こうなるかな びんしけん。ひと その ふぼこんていの げんを かんせず。」 (意味)孝行である、閔子騫は。父母兄弟がその孝行ぶりをほめても、誰も異議を唱えない。 読み方「なんよう はくけいを さんぷくす。こうし その あにの こを もって これに めあわす。」 (意味)弟子の南容は「白圭(白い、角のある玉)の欠けたのは磨けばなおる。言葉のかけたのはなおせない」という意味の詩を毎日繰り返し読んだ。このように言葉を謹む者なので、孔子は兄の子をこの男の妻とした。 読み方「がんえん しす。がんろ しの くるまを こうて これが かくを つくらんと す。し いわく、『さいも ふさいも また おのおの そのこと いうなり。りや しせし とき かん ありて かく なかりき。われと こうして もって これが かくを つくらず。われの たいふの しりえに したがうを もって とこう すべからざれば なり。」 (意味)顔淵が死んだ。父の顔路は孔子の車を請うて、これを売って外棺を買おうと思った。孔子がいうには「子に才能があろうが無かろうが、父から見れば子を愛する情に変わりは無い。昔、私の子の鯉が死んだときはただ棺だけで外棺は無かった。私は車を売って徒歩し、鯉のために外棺を作ってはやらなかった。私が大夫の末席におって、車を捨てて徒歩することはできなかったからだ。 読み方「がんえん しす。し いわく、ああ、てん われを ほろぼす。てん われを ほろぼす。」 (意味)顔淵が死んだ。孔子がいうには、顔淵によって道を伝えようとしたのにそれができなくなった。ああ、天が我をほろぼしたのだ。天が我をほろぼしたのだ。 読み方「がんえん しす。し これを こくして どうす。じゅうしゃ いわく、『し どうせり。』いわく、『どうする こと あるか。かの ひとの ために どうするに あらずして たれが ために せん。』」 (意味)顔淵が死んだ。孔子が大声を上げて泣き叫び、過度に悲しんだ。従っていた門人がいうには、「先生、悲しみすぎです」と。孔子がいうには、「悲しみすぎたか。あの人が死んだことに対して過度に悲しまなければ、いったい誰の為に心の底から悲しむのだ。」と。 読み方「がんえん しす。もんじん あつく これを ほうむらんと ほっす。し いわく、『ふかなり。』もんじん あつく これを ほうむる。し いわく、『かいや われを みる こと なお ちちの ごとし。われ みる こと なお この ごとく するを えず。われに あらざるなり。かの じさんしなり。』」 (意味)顔淵が死んだ。顔淵の門人は厚くこれを葬ろうとした。孔子がいうには「それはダメだ」と。しかし門人は厚く葬った。孔子がいうには、「回(顔淵)は私を父のように視ていたが、私は回を、我が子の鯉を葬ったときのように礼にかなうように葬ることができなかった。つまり子のような待遇をすることができなかった。しかしこれは、私の過ちではない。かの門人たちがしたことだ。」と。 読み方「きろ きしんに つかうる ことを とう。し いわく、『いまだ ひとに つかうる こと あたわず。いずくんぞ よく きに つかえん。』あえて しを とう。いわく、『いまだ せいを しらず。いずくんぞ しを しらん。』」 (意味)季路(子路)が山川の神や代々の君主の霊につかえる道を質問した。孔子がいうには、「未だ人につかえることがきちんとできていないのに、どうして鬼神につかえることができようか。」と。季路はあえて死について質問した。孔子がいうには、「未だ生の道を知らないのに、どうして死の道を知ることができようか。」と。 読み方「ろひと ちょうふを つくる。びんしけん いわく、『きゅうかんに よらば これを いかん。なんぞ かならずしも あらため つくらん。』し いわく、『かの ひと いわず、いえば かならず あたる こと あり。』」 (意味)魯の役人が黄金と玉、布と絹を入れる長い倉庫を造った。閔子騫がいうには、『もとのままにして修繕を加えたらどうか。(人民を疲れさせ、お金を使うことになるから)何も改め作る必要はないだろう。』と。孔子は、『あの人は滅多に物を言わないが、言えば必ず道理にあたっている。』といった。 |