ハマモト経営の指針集 『論語』より

主要参考図書『論語新釈』宇野哲人著 講談社学術文庫

  八イツ第三

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「人にして仁ならざれば、礼を如何にせんや。人にして仁ならざれば、楽を如何にせんや。」

読み方「ひとに して じん ならざれば、れいを いかに せんや。ひとに してじん ならざれば、がくを いかに せんや。」

(意味)人に思いやりの心が無かったら、いかに言葉や作法が巧みでも役に立たない。いかに音声が美しくても役に立たない。」

→ マナーや声の美しさなどは、思いやりの心を外に現したものである。

それなのに、形ばかり整えてしきたり通りにしたり、笑顔や言葉遣いを正しくて、心は醜い人がいる。

これを本末転倒という。形よりも、本の心を大切にしたい。






「礼はその奢らんよりは寧ろ倹せよ。」

読み方「れいは その おごらん よりは むしろ けんせよ。」

(意味)礼は奢侈(しゃし)になるよりは、むしろ倹素(倹約で質素)であるのがよい。」

→ 礼で大切なことは、中心に誠があるかどうか。

外面を飾るのは、中心の誠が失われていることを示す。

質素倹約であるのは、豪華さは無くても誠が存在する。誠実に生きよう。






「喪はその易めんよりは寧ろ戚せよ。」

読み方「そうは その おさめん よりは むしろ せきせよ。」

(意味)人の死んだときの礼としては儀式をりっぱにするよりも、むしろ哀しみが過ぎるくらいの方がよい。」

→ 儀式に気をとられると、哀しみを忘れてしまいがちになる。

最後の別れの場で必要なのは、相手に心が伝わるかどうかだ。

感謝の心や悲しみの心を伝えるのに、しきたりはさほど関係が無い。誠を伝えよう。






「君子は争う所なし。必ずや射か。揖譲してしかして升り下り、而して飲ましむ。その争いや君子。」

読み方「くんしは あらそう ところ なし。かならずや しゃか。ゆうじょうしてしかして のぼり くだり、しかして のましむ。その あらそいや くんし。」

(意味)徳の高い人は人と争うことをしない。しいてあげれば弓を射るときの競争か。互いに譲り合って射の場所に升り下りし、負けた者には酒を飲ませる。これが徳の高い人の争いである。」

→ 競争があるからこそ、世の中は発展する。

徳の高い人は、私情に流されて人と争うということはない。

しかし、争うことが道にかなうと判断したときは、徹底的に争う。射の競争は互いに高めあう良い争いである。





「祭るには在すが如くし、神を祭るには神在すが如くす。」

読み方「まつるには いますが ごとくし、かみを まつるには かみ いますが ごとくす。」

(意味)孔子が先祖を祭る際には先祖がそこにいるかのように心をつくし、その他の神を祭る際には神がそこにいるかのように心をつくす。」

→ 故人の冥福を祈ったり、神に祈ったりするのは、目の前に故人や神がいるからだ。

形だけで済ませる人は、そこにいるとは思っていない。

目に見えないものを信じない人は、自分の心さえ信じられないだろう。






「子貢告朔のき羊を去らんと欲す。子曰く、賜や、なんじはその羊を愛しむ。我はその礼を愛しむ。」

読み方「しこう こくさくの きようを さらんと ほっす。し いわく、しや、なんじはその ひつじを おしむ。われは その れいを おしむ。」

(意味)子貢は先祖の廟に朔日(ついたち)を告げる礼が行われなくなったのに羊を一匹ずつ供えるのは無駄だと思ってやめようとした。孔子が言うには「賜(子貢の名)よ、おまえは羊を惜しんでいるね。私は羊を供えなくなることによって礼が滅びることを惜しむよ。」

→ 礼は、心と形によって成り立っている。

いつの間にか、心が無くなって、形だけが残っているものがある。

形が残っていればその意味を問い直す日もくるだろうが、形が無くなればすべて無くなってしまう。






「君、臣を使うに礼を以てし、臣、君に事うるに忠を以てす。」

読み方「きみ、しんを つかうに れいを もってし、しん、きみに つかうるにちゅうを もって す。」

(意味)主君は臣を使うのに礼の徳をもって丁寧にし、臣は主君に仕えるのにまごころをもってするものである。」

→ これができていない会社は数多い。

社長は「使ってやっている」というおごりを持ち、社員は「偉そうにしやがって」と思っている。

その状態で、どんな制度を入れてもうまくいくはずがない。まず、社長が変わらねば。






「上に居て寛ならず、礼をなして敬せず、喪に臨んで哀しまずんば、吾何を以て之を観んや。」

読み方「かみに いて かん ならず、れいを なして けいせず、もに のぞんで かなしまずんば、われ なにを もって これを みんや。」

(意味)人の上に立って寛大でなく、礼儀作法を行うのに敬意がなく、父母の喪にいて哀しまないならば、私は何をもって善し悪しを観ようか。まったく観るに耐えない。」

→ 上に立つ、礼儀を行う、葬式をする、すべて形式的にはできる。

会社でも様々な形式がある。挨拶をする、書類を出す、お客にアフターフォローをするなどなど…。

しかし、その根本の精神がわかっていなければ、何にもならない。本質を理解しよう。


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