ハマモト経営の指針集 『論語』より

参考図書『論語』宇野哲人全訳注 講談社学術文庫

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「顔淵仁を問う。子曰く、『己に克ち礼に復るを仁と為す。一日も己に克ち礼に復れば天下仁を帰す。仁を為すこと己に由る、人に由らんや。』」

読み方「がんえん じんを とう。し いわく、『おのれに かち れいに かえるを じんと なす。いちじつも おのれに かち れいに かえれば てんか じんを ゆるす。じんを なす こと おのれに よる、じんに よらんや。』」

(意味)顔淵が仁を行う方法を聞いた。孔子がいうには、「己の私欲に打ち勝って礼を行うことが仁なのだ。1日の間でも、己に勝ち礼にかえれば、天下の人は私を仁者というだろう。これは己自身の修行によることだ。」と。

→ 自分が自分に勝てるかどうか、それは他人はまったく関係のないことだ。

自分の意志の問題なのだ。

これは武士道の奥義でもある。己を知り、己に勝つことこそ、求められる。






「顔淵曰く、『其の目を請い問う。』子曰く、『礼に非ざれば視ること勿れ。礼に非ざれば聴くこと勿れ。礼に非ざれば言うこと勿れ。礼に非ざれば動くこと勿れ。』顔淵曰く、『回、不敏と雖も、請う斯の語を事とせん。』」

読み方「がんえん いわく、『その もくを こい とう。』し いわく、『れいに あらざれば みる こと なかれ。れいに あらざれば きく こと なかれ。れいに あらざれば いう こと なかれ。れいに あらざれば うごく こと なかれ。』がんえん いわく、『かい、ふびんと いえども、こう この ごを ことと せん。』」

(意味)顔淵は「己に克ち礼を踏み行うにあたり、その具体的実践項目をお尋ねします」といった。孔子がいうには、「礼に外れた色は見てはいけない。礼に外れた声は聴いてはいけない。礼に外れた言葉は言ってはいけない。礼に外れた動作はしてはいけない。(礼に外れたものは、皆私欲の産物だから)』顔淵は「私は愚か者ですが、先生の言葉を教訓として実践します」といった。

→ 私欲は皆ある。私欲を押さえ込もうとしても無理なことだ。

だから、礼にかなったことを実践することにより、私欲からの言動をしないようにするしかない。

徹底的に自らの言動をルールに従わせるのだ。会社でやるように。






「仲弓仁を問う。子曰く、『門を出づれば大賓を見るが如くし、民を使うには大祭を承くるが如くせよ。己の欲せざる所は人に施すこと勿れ。邦に在りても怨みなく、家に在りても怨みなし。』仲弓曰く、『雍不敏と雖も、請う斯の語を事とせん。』」

読み方「ちゅうきゅう じんを とう。し いわく、『もんを いづれば たいひんを みるが ごとし、たみを つかうには たいさいを うくるが ごとく せよ。おのれの ほっせざる ところは ひとに ほどこす こと なかれ。くにに ありても うらみ なく、いえに ありても うらみ なし。』ちゅうきゅう いわく、『よう ふびんと いえども、こう この ごを ことと せん。』」

(意味)仲弓が仁を行う方法を質問した。孔子は、「家の門を出て人に接するときは高貴な客人を見るときのように接し、人民を使役するときは重大な祭りを承るときのように謹んでせよ。己が欲しないことは、他人にも施してはいけない。そうしていれば、邦に居るときは怨まれることがなく、家にいても父母兄弟から怨まれることがない。」仲弓は「私は愚か者ですが、先生の言葉を教訓として実践します」といった。

→ 一歩外に出たら、出会う人皆大人物だと思って接せよと孔子は言う。

そのように扱われたら、皆感動し、相手に好意を抱くだろう。

今は、インターネット時代。メール交換1つでも、大人物と行うようにしよう。






「司馬牛仁を問う。子曰く、『仁者は其の言や」ぶ。』曰く『其の言や」ぶ、斯れ之を仁と謂うか。』子曰く、『之を為すこと難し。之を言うこと」ぶ無きを得んや。』」

読み方「しばぎゅう じんを とう。し いわく、『じんしゃは その げんや しのぶ。』いわく『その げんや しのぶ、これ これを じんと いうか。』し いわく、『これを なす こと かたし。これを いう こと しのぶ なきを えんや。』」

(意味)司馬牛が仁を行う方法を質問した。孔子は、「仁者は決して軽々しく言葉を発することはない。このようにするのが仁を行う道である。」司馬牛は「軽々しく言葉を発しなければ、すなわちそれで仁なのですか。」と反問した。孔子がいうには、「言葉と行動は一致すべきものだが、実行は難しい。このことを念頭に置けば、言葉を軽々しく発しないようにせざるをえないではないか。」と。

→ 言行一致というのは、現代において最も重要視すべきことかもしれない。

政治家の言行一致も無くなり、ちまたでも言ったら言いっ放しですませている。

「武士に二言は無し」だ。言ったことはやろう。






「司馬牛君子を問う。子曰く、『君子は憂えず懼れず。』曰く、『憂えず懼れず、斯れ之を君子と謂うか。』子曰く、『内に省みて疚しからず。夫れ何をか憂え、何をか懼れん。』」

読み方「しばぎゅう くんしを とう。し いわく、『くんしは うれえず おそれず。』いわく、『うれえず おそれず、これ これを くんしと いうか。』し いわく、『うちに かえりみて やましからず。それ なにをか うれえ、なにをか おそれん。』」

(意味)司馬牛が君子とはどのような人物かについて質問した。孔子は、「君子は、わざわいが来ることを憂えもせず、災いが来ても懼れもしない。」司馬牛は「憂えもせず、懼れもしないというだけで君子と言えますか。」と反問した。孔子がいうには、「君子は内に自分を省みて、少しも疚しいところがない。だから、何の憂え懼れることがあろうか。」と。

→ 一切疚しいところが無い人物、果たしているだろうか。

そうなるためには、相当な人物修行が必要だろう。

まずは、今日一日、自ら疚しいところが無いように行動しよう。その積み重ねが君子への道だ。





司馬牛憂えて曰く、「人皆兄弟あり、我独り亡し。」子夏曰く、「商之を聞けり、『死生命あり。富貴天に在り』と。君子敬して失うことなく、人と恭しくして礼あらば、四海の内、皆兄弟なり。君子何ぞ兄弟なきを患えん。」

読み方 しばぎゅう うれえて いわく、「ひと みな けいてい あり、われ ひとり なし。」しか いわく、「しょう これを きけり、『しせい めい あり。ふうき てんに あり』と。くんし けいして うしなう こと なく、ひとと うやうやしく して れい あらば、しかいの うち、みな けいていなり。くんし なんぞ けいてい なきを うれえん。」

(意味)司馬牛が憂えていうには、「人は皆兄弟がある、私独りがない。(実はいるが、皆罪人で死ぬのである)」と。子夏がいうには、「商(子夏の名)はこう聞いています。『人の人生は天命であり、人の富貴は天が与えるものだ』(だからあなたの兄弟がないのも天命で仕方が無い)。君子が敬を常に失うことなく、他人に接するのに恭しくして礼に合するならば、天下の人が皆兄弟のようにしてくれます。だから君子ならばどうして兄弟の無いことを患えることがありましょうか。」と。

→ 君子にとっては、すべての人が兄弟である。

それは、自分が他人と接するのに、必ず礼をもってするからだ。

まるで、自分の家族のように、温かく接すれば、人類皆兄弟となる。






「子張明を問う。子曰く、『浸潤の譖り、膚受の愬へ、行われざるを明と謂うべきのみ。浸潤の譖り、膚受の愬へ、行われざるを遠と謂うべきのみ。』」

読み方「しちょう めいを とう。し いわく、『しんじゅんの そしり、ふじゅの うったえ、おこなわれざるを めいと いうべきのみ。しんじゅんの そしり、ふじゅの うったえ、おこなわれざるを えんと いうべきのみ。』」

(意味)子張が明とは何かと問うた。孔子は「浸潤の譖りといって、人をそしるのに、水が物を浸すようにじわじわと急がずに讒言すれば、聴く者は知らず知らず深くこれを信じてしまう。また、膚受の愬えといって、己の冤罪を訴えるのに、膚(はだ)に受けているように利害が身に切迫していることを述べれば、聴く者はきちんと調べないで同情してしまう。この2つの手段を行って欺こうとしても、これを見破り、行われないようにすれば明と言える。また、これらをよく見破って行われないようにすれば、明の遠くまで及ぶ者と言える。」と。

→ 仁とは、ただ相手に同情するばかりのものではない。

相手をよく観察すれば、おのずと相手のウソを見破ることができる。

つまり、明も含んで仁なのである。人の欲望を見破るためには、己の欲望に勝たねばならない。






「子貢政を問う。子曰く、『食を足し、兵を足し、民之を信ず。』子貢曰く、『必ず已むことを得ずして去てば、斯の三者に於いて何をか先にせん。』曰く、『兵を去てん』子貢曰く、『必ず已むことを得ずして去てば、斯の二者に於いて何をか先にせん。』曰く、『食を去てん。古より皆死あり。民信なくば立たず。』」

読み方「しこう まつりごとを とう。し いわく、『しょくを たし、へいを たし、たみ これを しんず。』しこう いわく、『かならず やむ ことを えず して すてば、この さんしゃに おいて なにをか さきに せん。』いわく、『へいを すてん』しこう いわく、『かならず やむ ことを えずして すてば、この にしゃに おいて なにをか さきに せん。』いわく、『しょくを すてん。いにしえより みな し あり。たみ しん なくば たたず。』」

(意味)子貢が政を行う道を孔子に尋ねた。孔子は、「食物を十分にし、兵備を十分にし、民に教育して為政者を信じるようにするのだ。」と言った。子貢は「どうしてもやむを得ずして捨てるなら、この3つのうち、何を先に捨てますか?」孔子「兵を捨てよう」子貢「どうしてもやむを得ずして捨てるなら、残った2つのうち、どちらを先に捨てますか?」孔子「食を捨てよう。民は職が無ければ必ず死ぬ。しかし、死は古から誰も免れることができないものだ。民が為政者を信じなければ、自立することができない。それならばむしろ死ぬ方がいい。」と。

→ つまり、国にとってもっとも大切なものは民の為政者に対する「信頼」だと孔子は言う。

会社では、食が給料、兵が商品やサービス、信が社員からトップへの信頼だろう。

給料が少なく、商品は2流でも、トップへの信頼があれば会社は成り立つということだ。




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