ハマモト経営の指針集 『論語』より

参考図書『論語』宇野哲人全訳注 講談社学術文庫

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「陳に在りて糧を絶つ。従者病みて能く興つなし。子路慍りて見えて曰く、『君子も亦窮することあるか。』子 曰く、『君子固より窮す。小人窮すれば斯に濫す。』」

読み方「ちんに ありて りょうを たつ。じゅうしゃ やみて よく たつ なし。しろ いかりて まみえて いわく、『くんしも また きゅうする こと あるか。』し いわく、『くんし もとより きゅうす。しょうじん きゅうすれば ここに らんす。』」

(意味)陳で糧食を絶つことになり、孔子の従者は飢えて立つことができなくなった。子路が怒っていうには、「君子も困窮することがありますか。」と。孔子は「窮通は命であるから、君子はもとより困窮するときがある。小人は窮すればとめどなく悪いことをするものだが、君子はしない。」と答えた。

→ 後に偉人になった人は、大変苦しい時期を過ごした人物が多い。

問題は、その大変苦しいときに、どのような行動をするかだ。

つい悪いことでもして楽になりたいのが動物的感覚だろう。君子はひたすら己を磨く。






「子曰く、『賜や、女は予を以て多く学んで之を識す者となすか。』対えて曰く、『然り。非か。』曰く、「非なり。予は一以て之を貫く。』」

読み方「し いわく、『しや、なんじは よを もって おおく まなんで これを しるす ものと なすか。』こたえて いわく、『しかり。ひか。』いわく、『ひなり。よは いつもって これを つらぬく。』」

(意味)孔子がいうには、「賜(子貢の名)よ、お前は私が多く学んですべてを記憶し、忘れない者だと思っているか。」と。子貢は「そのとおりです。違うのですか。」と。孔子は「ちがう。私は心中の一つの道理を天下の事物に適用することで、これを知るのだ。」といった。

→ インターネットも発達した今日、たくさんの知識を保有していることにはあまり意味が無い。

大切なのは、どのような判断基準をもってものごとを見ているか。

すなわち、モノの見方、考え方が大事なのだ。確固たる判断基準を自分の中に確立しよう。






「子曰く、無為にして治まる者は其れ舜なるか。夫れ何をか為るや。己を恭しうして正しく南面するのみ。」

読み方「し いわく、むいに して おさまる ものは それ しゅんなるか。それ なにをか するや。おのれを うやうやしう して ただしく なんめん するのみ。」

(意味)孔子がいうには、自分は何もせずに天下が治まった帝王は舜である。いったい舜は何をしていたのか。己を修め、つつしんで、正しく君の位にいただけである。

→ トップがトップとしてきちんとすること、それが最も大切なことだ。

そうすれば、あとは部下たちがやってくれる。

多くの人を正しく動かすには、人の上に立つものとして、あるべき姿をきちんとやろう。






「子張行われんことを問う。子曰く、『言忠信に、行い篤敬なれば、蛮貊の邦と雖も行わる。言忠信ならず、行い篤敬ならざれば、州里と雖も行われんや。立てば則ち其の前に参るを見、輿に在れば則ち其の衡に倚るを見る。夫れ然る後行われん。』子張諸を紳に書す。」

読み方「しちょう おこなわれん ことを とう。し いわく、『げん ちゅうしんに、おこない とくけいなれば、ばんはくの くにと いえども おこなわる。げん ちゅうしんならず、おこない とくけいならざれば、しゅうりと いえども おこなわれんや。たてば すなわち その まえに まじわるを み、よに あれば すなわち その こうに よるを みる。それ しかるのち おこなわれん。』しちょう これを しんに しょす。」

(意味)子張が事が滞り無く行われる方法を孔子に問うた。孔子がいうには、「言が忠言で行いが篤敬ならば、たとえ南蛮北貊の邦であっても滞り無く行われる。言が忠言でなく行いが篤敬でないなら、一州一里の近いところでも行われない。立てば忠信篤敬が我に対するのを見、車に乗れば忠信篤敬が車を馬や牛につなぐところに見る。このようにして然る後、事が滞り無く行われるのである。」と。子張はこの孔子の言葉を、大帯の前に垂れた処に書き止めて、忘れないようにした。

→ 人を感動させることができれば、事業はうまくいく。

それをテクニックでやろうと思えばできないことはないが、いずれメッキがはがれる。

忠信篤敬、この4文字を心に刻み、実践しよう。それが本物への道だ。






「子曰く、直なるかな史魚。邦道あれば矢の如く、邦道なきも矢の如し、君子なるかなキョ伯玉、邦道あれば則ち仕え、邦道なければ則ち巻いて之を懐にすべし。」

読み方「し いわく、ちょくなるかな しぎょ。くに みち あれば やの ごとく、くに みち なきも やの ごとし、くんしなるかな きょはくぎょく、くに みち あれば すなわち つかえ、くに みち なければすなわち まいて これを ふところに すべし。」

(意味)孔子がいった。まっすぐな人だ、史魚は。邦に道が行われているときは正義を直言すること矢のごとく、道が行われていないときも矢のようだ。君子というべき人だ、キョ伯玉という人は。邦に道が行われているときは仕えて道を行い、道が行われていなければ、これを巻いて懐にかくすことができる。

→ 直はただまっすぐなだけだが、君子は環境によって、己を変化させる。

正しいことを言っても何も変わらないときは、言ってもムダだ。

自分を生かすためには、積極的にひくことも、時には必要である。






「子曰く、与に言うべくして之と言わざれば、人を失う。与に言うべからずして之と言えば、言を失う。知者は人を失わず、亦言を失わず。」

読み方「し いわく、ともに いうべくして これと いわざれば、ひとを うしなう。ともに いうべからずして これと いえば、げんを うしなう。ちしゃは ひとを うしなわず、また げんを うしなわず。」

(意味)孔子がいった。相手が素直に話を聞くという言うべき人なのに、言わなければ、人を失う。言うべき人でないのに言えば、言を無駄にしてしまう。知者は人を失うこともなく、また、言を失うこともない。

→ 言うことがプラスになる人か、ならない人か。

その見極めができることが大切なのだ。

そのためには、洞察力を磨く必要がある。近寄ってきた相手の真の目的を見抜くことが必要だ。






「子曰く、志士仁人は生を求めて以て仁を害すること無し。身を殺して以て仁を成すことあり。」

読み方「し いわく、ししじんじんは せいを もとめて もって じんを がいする こと なし。みを ころして もって じんを なす こと あり。」

(意味)孔子がいった。仁を志す人と仁を完成させた人は、道理上死ぬのが当然な場合には生を求めて仁を害することなく、むしろ己の身を殺しても仁を成し遂げるのだ。

→ 死を恐れずに立ち向かうのは勇者である。

しかし、頭も使わず、ただ挑むだけというのは匹夫の勇だ。

赤穂浪士を指揮した大石蔵之助のように他も考え、それしか無いという場合、命をかけるのだ。






「子貢仁を為すを問う。子曰く、『工其の事を善くせんと欲せば、必ず其の器を利くす。是の邦に居るや、其の大夫の賢者に事え、其の士の仁者を友とす。』」

読み方「しこう じんを なすを とう。し いわく、『こう その ことを よく せんと ほっせば、かならず その うつわを とくす。この くにに おるや、その たいふの けんしゃに つかえ、その しの じんしゃを ともと す。」

(意味)子貢が仁を行う方法を問うた。孔子がいうには、「職人が仕事を善く仕上げようと思えば、必ず道具を鋭利にするものである。ある邦におれば、必ずその邦の大夫のうちの賢者につかえ、その邦の士の中の仁者と友として交わるのが仁を行う方法である。」と。

→ 仁を行うには、主体である自分がしっかりしなければいけない。

しかし、それをたすけるものを周囲に置いておけば、よりきちんとできる。

そのような条件を上手に活用しなさいと、孔子は言っているのだ。





「子曰く、人遠き慮りなければ、必ず近き憂いあり。」

読み方「し いわく、ひと とおき おもんぱかり なければ、かならず ちかき うれい あり。」

(意味)孔子がいうには、人が遠い将来を熟慮して予防しなければ、必ず近いうちに禍いが生じる。

→ 企業に、なぜ3〜5年後以降の将来を見据えた中長期経営計画が必要なのか。

企業は環境適応業だが、環境に適応した体質を作るにはどうしても時間がかかるからだ。

つまり、未来を予想し、それに合った体質にするために、今から準備しなければ間に合わないのだ。






「子曰く、臧文仲は其れ位をぬすむ者か。柳下恵の賢を知って与に立たず。」

読み方「し いわく、ぞうぶんちゅうは それ くらいを ぬすむ ものか。りゅうかけいの けんを しって ともに たたず。」

(意味)孔子がいうには、臧文仲は位を盗む者だ。柳下恵の賢いことを知りながら、これを君に薦めて一緒に仕えようとしないのだから。

→ 優秀な人を知りながら、それを他に教えないのは心が狭い。

それだけで、その人が小人であるということを推し量るに十分だ。

世に出すべき人を知ったら、人に広めよう。社会をよくしようという思い、それが君子の証だ。




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