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エピソード集
「孫子の兵法」を駆使したと思われる兵法家のエピソード3
諸葛亮孔明「死せる諸葛亮、生ける仲達を走らす」
●諸葛亮孔明の「死せる諸葛亮、生ける仲達を走らす」
死後に敵の追撃を防いだ諸葛亮の人間力
【登場人物】
蜀(しょく):丞相 諸葛亮孔明(しょかつりょうこうめい) 魏(ぎ):代将軍 司馬懿仲達(しばいちゅうたつ)
諸葛亮孔明は蜀の初代皇帝、劉備玄徳の死後、 2代目皇帝の補佐をしながら、魏の攻略にあたった。
しかし、何度か出兵したにもかかわらず、 兵糧の運搬が障害となり、 思うように軍を進めることができなかった。
そこで諸葛亮は、 平時に農耕に従事する屯田(とんでん)兵を各地に置き、 兵糧の心配がないようにした。
諸葛亮孔明はしばしば戦を仕掛けた。 敵将は司馬懿仲達であるが、応戦する気配を見せない。
そこで諸葛亮は使者に婦人用の頭巾と服をもたせて 司馬懿に贈り、その臆病さをからかった。
ところが司馬懿はそんな挑発に乗らない。 その使者を前にして司馬懿はこう尋ねた。
「諸葛亮さんは何時ごろ寝ているの? 公務に追われて忙しくされてはいないの? 食事の量はどれくらい?」
軍事のことには触れず、日常の行動についての質問だ。 使者はこう答えた。
「わが諸葛公は、朝は早起き、夜は遅くに就寝されます。 杖罪(じょうざい、木製の杖で背中や尻を打たれる罪)
20回以上の軍律違反を犯した者は、 すべてご自分でお調べになります。
お食事の量は少なく、日にせいぜい3~4合くらいです」
使者はペラペラとしゃべってしまった。
使者がさがった後、司馬懿は周囲の武将たちにこう言った。
「諸葛亮さん、食事の量が少なくて仕事は多忙とは。
もう長くないだろうよ」
司馬懿が見抜いたとおり、 その後、諸葛亮は重い病にとりつかれてしまった。
ある夜、大きな流れ星が赤い光を放ちながら、 諸葛亮の陣営のあたりにすーっと落ちた。
それから間もなく、諸葛亮は亡くなったのである。
諸葛亮を失った蜀軍があわただしく軍をまとめて
引き揚げていると知った司馬懿は、ただちに追撃を命じた。
そこで蜀の将軍はこう叫んだ。
「旗の向きをかえ、太鼓を打ち鳴らせ!」
反撃するように見せかけたのだ。
司馬懿はそれ以上、追撃するのをやめた。
「死せる諸葛亮、生ける仲達を走らす」
土地の人々はこんなことわざを作ったという。 これを聞いた司馬懿は苦笑しながら言った。
「生きている人間のすることは見当がつくけれども、 死んだ人間のすることは分からんからな」
生前、諸葛亮はさまざまな兵法から原理を研究し、 「八陣の図」という軍隊の陣形図を作成していた。
司馬懿は蜀軍の陣営の後を見て回り、 ため息をついてこう言ったという。
「諸葛亮は天下の奇才だ!」
反撃するように見せかける策が諸葛亮の命じたものであるか どうかは不明だが、司馬懿が諸葛亮を恐れていたからこそ
効いたものと推察される。
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